現代外国人名録2016 「マイケルジョーダン」の解説
マイケル ジョーダン
Michael Jordan
- 職業・肩書
- 元バスケットボール選手 シャーロット・ボブキャッツ筆頭オーナー
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1963年2月17日
- 出生地
- ニューヨーク市ブルックリン
- 本名
- ジョーダン,マイケル・ジェフリー〈Jordan,Michael Jeffery〉
- 学歴
- ノースカロライナ大学
- 受賞
- NBA新人王〔1985年〕,NBA・MVP〔1988年・1991年・1992年・1996年・1998年〕,20世紀の世界スポーツ賞〔1999年〕
- 経歴
- 幼少時から野球とバスケットボールに取り組む。1982年ノースカロライナ大学1年の時ジョージタウン大学とのNCAAチャンピオン決定戦で残り17秒から逆転シュートを決めて一躍その名を知られる。’84年ロス五輪に出場、金メダルを獲得。同年ドラフト1巡目3位でNBAのブルズに入団、’84〜85年の新人王。’86〜87年のシーズン以来7年連続得点王に輝き、’91年、’92年、’93年はチームをファイナル3連覇に導いた。’92年“ドリーム・チーム”の一員としてバルセロナ五輪で金メダル。NBAのスーパースター、国民的英雄として君臨したが、’93年10月突然引退。引退後はマイケル・ジョーダン・ゴルフ(シカゴ)を設立、ゴルフ練習場事業に進出する一方、大リーグ・ホワイトソックス傘下の2Aバロンズに入団、メジャーを目指す。’95年3月大リーグ・ストのため野球でのメジャー挑戦は断念、古巣ブルズでNBAに復帰。’95〜96年シーズン通算8度目の得点王に返り咲き、チームを3年ぶり4度目のファイナル優勝に導く。’97年4月現役トップの通算2万6726得点を達成。同年6月2年連続5度目のファイナル優勝。’98年5月対ホーネッツ戦で、1000試合連続二ケタ得点を記録。6月NBA史上初の2度目の3連覇に貢献。’97〜98年の年俸3300万ドルは当時の米国プロスポーツ界最高、スポンサーからの収入も加えると年収は4500万ドルを超えた。’99年1月2度目の引退を表明。同年12月元プロフットボール選手のジョン・エルウェイらとともにスポーツ用品のインターネット販売会社MVPドット・コムを設立。2000年1月NBAウィザーズの共同オーナー兼球団運営責任者に就任。2001年10月ウィザーズの開幕戦で現役復帰。2002年1月史上4人目の3万得点を達成。2003年2月オールスターに14度目の出場。同年5月正式に引退。得点王10回、1試合平均得点30.07はNBA史上最多。通算3万2292点(歴代3位)。MVP5回は史上2位タイ。またファイナルMVPを6度、オールスターMVPを3度獲得。滞空時間の長い驚異的なジャンプと抜群のシュート力で“God”“Air Jordan”と称された。NBAに100億ドル以上の貢献をしたとされる。2009年バスケットボールの殿堂、2015年国際バスケットボール連盟(FIBA)の殿堂入り。2010年シャーロット・ボブキャッツの筆頭オーナーに就任。元選手がNBAのオーナーになるのは初めて。著書に自伝「ゲームの愛―私の話」がある。1996年初来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報