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マハティール・モハマド マハティール・モハマド Mahathir Mohammad

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マハティール・モハマド
マハティール・モハマド
Mahathir Mohammad

[生]1925.12.20.
マレーシアの政治家。マラヤ大学医学部卒業。 1964年下院議員に当選。ラーマン政権当時,人種政策を批判して「マレー人過激派」とされて与党マレー人国民組織 UMNO (United Malaya National Organization) から除名された。

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現代外国人名録2012の解説

マハティール・モハマド
マハティールモハマド
Mahathir Mohamad


国籍
マレーシア

専門
政治家

肩書
マレーシア首相;統一マレー国民組織(UMNO)総裁

本名
マハティール・ビン・モハマド〈Mahathir bin Mohamad〉

生年月日
1925/12/20

出生地
マラヤ連邦 アロールスター

学歴
マラヤ大学(現・シンガポール大学)医学部〔1953年〕卒

学位
医学博士〔1953年〕

経歴
在学中の1946年統一マレー国民組織(UMNO)の結成に参加。大学卒業後医務官となるが、政治活動をするため開業医に。’63年連邦国家マレーシアが独立。’64年下院議員に初当選。’65年UMNO最高評議会委員に当選。’69年ラーマン首相と対立しUMNOを追放されるが、’72年復党、この間に「マレー・ジレンマ」を著した。’74年下院議員に返り咲き、同年教育相、’77年貿易産業相、’81年国防相、’76〜81年副首相兼任。’78年UMNO副総裁を経て、’81年より同総裁。同年7月マレーシア第4代首相に就任、マレーシア初の平民宰相となる。’86年より内相、’87年より法相兼務。就任直後から日本や韓国に見習って経済開発を進めようとする“ルックイーストポリシー(東方政策)”を提唱し、急速な経済発展をもたらした。’90年10月の総選挙では自らが率いる与党連合NFが三たび圧勝。’95年4月の総選挙でも国民戦線(UMNOを中核とする連合政権)が圧勝。’94年東アジア経済協議体(EAEC)構想を提唱、“アジアの意志”の代弁者と呼ばれる。また、東南アジア諸国連合の牽引役を務め、’97年には欧米の強い反対に遭いながらもミャンマーの加盟を実現させた。’98年経済政策の対立によりアンワル副首相を解任し、全権を掌握。’99年11月総選挙で国民戦線が勝利。2001年6月財務相兼任。2003年10月首相、UMNO総裁を退任。独自のアジア的価値感を持つ強力な指導者として欧米とも渡り合ったが、国内ではマレー人優遇や野党の弾圧などで摩擦も生んだ。2006年UMNOの地元代議員選挙に立候補したが、落選した。2008年5月UMNOを離党したが、2009年4月復党。著書に「The Malay Dilemma」(1969年)、「アジアから日本への伝言」がある。

受賞
理化学研究所名誉フェロー(日本)〔2007年〕

出典|日外アソシエーツ「現代外国人名録2012」(2012年刊)
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