コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

マントイフェル マントイフェルManteuffel, Edwin, Freiherr von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マントイフェル
Manteuffel, Edwin, Freiherr von

[生]1809.2.24. ドレスデン
[没]1885.6.17. カルルスバート
ドイツ,プロシアの軍人,外交官。 1827年プロシア軍に入隊。 54年以後外交官となり,57年宮中軍事官房長官となって軍制改革に努めた。 64年の対デンマーク戦争に参加ののちシュレースウィヒ総督。 66年プロシア=オーストリア戦争でホルシュタインのオーストリア軍を破り,さらにハノーバー,バイエルンを破った。 71年普仏戦争で第1軍団司令官としてメッツ会戦に参加,次いで第1軍を指揮してアシアンにフランス軍を破り,さらに新編成の南方軍司令官として南フランスを制圧。 71~73年フランス占領軍司令官。 73年元帥,ベルリン軍政長官。 79年アルザスロレーヌ総督。

マントイフェル
Manteuffel, Otto, Freiherr von

[生]1805.2.3. リュッベン
[没]1882.11.26. クロッセン
ドイツ,プロシアの政治家。 1841年東プロシア州の官僚となり,47年第1次連合州議会議員。 48年ブランデンブルク内閣の内相となって自由主義運動を弾圧,封建的な三級選挙法や上院設置法を含む欽定憲法の制定に貢献。 50年外相となり,オーストリアの F.シュワルツェンベルクオルミュッツ協定を締結。同年 12月には首相兼外相として保守派の反動政治の中心人物となり,官僚による支配体制を確立。 58年ウィルヘルム1世が摂政となり「新時代」を開始するに伴い罷免された。 66年には上院議員,76年にはブランデンブルク州議会議長となるが,もはや政界に力をもたなかった。主著『プロシア外交政策』 Preussens auswärtige Politik1850-58 (3巻,1902) 。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

マントイフェルの関連キーワード大草公弼三枝斐子ムラヴィヨーフラーマ[1世]ガラパゴス諸島点字おがみ山バイパス事業本殿と遷宮知多四国上田秋成