ミシェル ピッコリ(英語表記)Michel Piccoli

現代外国人名録2016 「ミシェル ピッコリ」の解説

ミシェル ピッコリ
Michel Piccoli

職業・肩書
俳優

国籍
フランス

生年月日
1925年12月27日

出生地
パリ

本名
Piccoli,Jacques Daniel Michel

勲章褒章
レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章

受賞
カンヌ国際映画祭男優賞(第33回)〔1980年〕「Leap Into the Void」,日本映画批評家賞男優賞(1992年度)〔1993年〕,上海国際映画祭最優秀男優賞(第3回)〔1997年〕「雨上がりの駅で」

経歴
イタリア系。父は音楽家、母は女優。中等教育を受けた頃、役者になる決心をし、自分で劇団を組織した。その後、大学入学資格を取り、大学の演劇科で勉強してプロの俳優となり、テアトル・バビロンに属し50以上の芝居に出演。その後ジャン・ヴィラールが率いる国立民衆劇場に移り「フェードラ」で絶賛された。1946年「Le point du jour」で映画デビュー。’60年代前半の「いぬ」(’62年)、「軽蔑」(’63年)、「小間使の日記」(’64年)などで注目され、以来演ずることの“はかり知れなさ”にとり憑かれて、数多くの映画に出演。’91年アムネスティのキャンペーンのために短編を初監督。他の映画出演作品に「フレンチ・カンカン」(’54年)、「スタンダールの恋愛論」(’64年)、「レディL」(’65年)、「パリは燃えているか」(’66年)、「昼顔」(’67年)、「別離」(’68年)、「ひきしお」(’71年)、「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(’72年)、「サン・スーシの女」(’82年)、「恋の病い」(’87年)、「美しき諍い女」(’91年)、「百一夜」(’94年)、「雨上がりの駅で」「ボーマルシェ/フィガロの誕生」(’96年)、「ティコ・ムーン」(’97年)、「家路」(2001年)、「夜顔」(2006年)、「ローマ法王の休日」(2011年)などがある。著書に「Dialogues égoistes」(1976年)がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

20世紀西洋人名事典 「ミシェル ピッコリ」の解説

ミシェル ピッコリ
Michel Piccoli


1925.12.27 -
俳優。
パリ生まれ。
本名Lacquues Daniel Michel〉 J.ダニエル・ミシェル〈Piccoli ピッコリ。
父は音楽家、母は女優という家庭に育ち、芸能界の雰囲気に早くから親しみ、中等教育時代に自分の劇団を組織。1年程大学の演劇科で勉強し、テアトル・バビロンに属す。その後国立民衆劇場に移り、マリア・カザレス共演の「フェードラ」で注目を集めた。映画デビューは1948年「Le point du jour」。歌手ジュリエットグレコは元夫人。他の作品に「いぬ」(’62年)、「軽蔑」(’63年)、「ひきしお」(’71年)等。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報