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ムボヤ Mboya, Tom

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ムボヤ
Mboya, Tom

[生]1930.8.15. キリマムボゴ
[没]1969.7.5. ナイロビ
ケニアの政治家。フルネーム Thomas Joseph Odhiambo Mboya。有力な政治指導者であったが,ケニア独立の 6年後に暗殺された。キクユ族が主導したヨーロッパ植民地支配に対する抵抗運動,マウマウの時代に民族主義運動の中核を担った。1953~63年ケニア労働連盟 KFL書記長を務めた。これは,1960年までアフリカ人による全国的な政治組織が認められていなかったケニアでは重要な役職だった。KFLは公然とは政治に参加できなかったが,ムボヤは 1957年の立法評議会選挙で労働者代表の候補者として当選した。イギリス植民地政府が提示した多人種議会制に反対し,立法評議会においてケニア独立運動組織とナイロビ人民会議党の結成に尽力した。独立前の 10年間に,イギリスのオックスフォード大学に 1年間留学し,アメリカ合衆国を 2度訪問。1959年には国内の学生により多くの留学機会を与えることを目的とするアフリカ・アメリカ学生財団の設立を支援。1960年にケニア・アフリカ民族同盟 KANUの創設に加わり,独立前の連立政権で労働大臣を務めるとともに,憲法制定協議に積極的にかかわり,1963年の独立に国を導いた。同 1963年にジョモ・ケニヤッタ首相のもとで司法大臣に就任。1964~69年に経済計画開発大臣として強力な混合経済と資本主義指向の政策の基礎を築いたが,オギンガ・オディンガら社会主義寄りの政策を唱える他の閣僚の反感を呼んだ。1969年にムボヤが暗殺されると国中に動揺が広がり,最多数のキクユ族と他の民族集団,特にムボヤの出自であるルオ族との関係が悪化した。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

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