メロビング美術(読み)メロビングびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「メロビング美術」の意味・わかりやすい解説

メロビング美術 (メロビングびじゅつ)

フランク王国のメロビング朝(5世紀末~8世紀中葉)の美術で,後の西ヨーロッパ美術を方向づけた。古代末期のローマ美術の伝統とゲルマン美術の抽象的感覚,さらに東方の影響が混在する。

 まず工芸では,光や色彩に対する特別な執着と民族特有の抽象文様装飾趣向から,金や宝石による印象的な配色の豪華な装身具武具,荘厳な宗教的器物などを残した。とくに東方起源の仕切り象嵌(ぞうがん)の技術が発展し,巧妙な細工はヒルデリヒ1世の墓(トゥールネ出土の剣(480ころ)などにみられる。工芸の最盛期は7世紀で,パリその他に工房が多数作られた。現存する絵画は写本挿絵が主で,その中には象嵌細工を思わせる図像がみられる。特色として,魚あるいは鳥を組み合わせて形どった文字,扉ページに描かれたアーチがあげられる。北イタリア起源のこれらの手法が《ゲラシウスの典礼書》(750ころ)などにみられる一方,他の写本にはコプト美術の影響などもうかがえる。

 石造建築の構造はローマの影響を受けているが,外壁はしばしば石組みや浮彫による文様で装飾された。ポアティエのサン・ジャン洗礼堂(7世紀献堂)は当時の姿を比較的よく残す。彫刻柱頭などの建築装飾品と石棺が主で,とくにアクイタニア地方の作品は,古典古代ロマネスクとを結ぶものとして貴重である。ジュアールJouarreの修道院はメロビング朝末期の遺品宝庫として知られる。
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