翻訳|Montreal
カナダ,ケベック州の都市。大都市域人口361万(2004)で市人口は同国1位だが,大都市域人口ではトロントに次ぎ2位。セント・ローレンス川とオタワ川の合流点にあるモンレアル島に位置する。モントリオールは,フランス系住民が圧倒的に多いケベック州の最大都市であり,市住民の3分の2はフランス系である。そのため,フランスのパリに次いで世界第2のフランス語を話す都市といわれている。最近のフランス化運動の影響もあって英語系住民(アングロ・サクソン系は約1割)はトロントなどへ移り住む人が多い。市名はフランス語ではモンレアルMontréalであり,市内の地名や街頭で耳にすることばも多くはフランス語である。また宗教人口はフランス系を主とするカトリックが8割を占める。市名は市の中央部にあって,それを取り巻くように市街が発達している木立に覆われた〈王様の山Mont Royal〉(モン・ロアイヤル,英語ではマウント・ローヤル,標高233m)に由来する。
カナダ最大の河湾都市として重要で,五大湖と大西洋を結ぶセント・ローレンス水路(1959開通)の出入口に当たり,小麦,木材,酪製品,毛皮,機械などを輸出する。またトロントとならぶカナダ最大の工業都市であり,自動車,航空機,金属,電気機器,食品,繊維,石油精製などの工業が発達し,二つの国立銀行の本店や株式取引所がある商業,金融の中心地となっている。教育の面では,プロテスタント系とカトリック系がそれぞれ英仏のどちらかの言語を用いる独自の学校組織をもつ特異な形態をとっているが,今日では公立化が進められている。大学もフランス語を中心とするモンレアル大学(1876創立),ケベック大学(1968創立)などのほかに,英語とフランス語を共用するマッギル大学(1821創立)などがあるが,全体としてフランス語化がすすんでいる。
1535年,フランスの探検家J.カルティエがセント・ローレンス川をさかのぼったとき,現在のモンレアル島にはイロコイ族の集落があった。1642年メゾンヌーブ侯によって布教を兼ねた交易基地としてはじめて白人の定住集落が建設された。ビル・マリーVille Marieと呼ばれたこの集落はニューフランスの商業的中心地であったが,しばしばイロコイ族の攻撃をうけた。フレンチ・インディアン戦争の結果,1760年イギリス軍に占領された。アメリカ独立革命後はローヤリストの移住によりイギリス的要素が強まった。18世紀後半から毛皮交易で市が成長しはじめ,人口比では少数派のイギリス系の住民が徐々に市の経済的実権を掌握したことが現在にいたるフランス系住民との対立の要因となった。1825年市南部にラシーヌ運河が建設されセント・ローレンス川急流部を避ける水路が開通,19世紀半ばにはボストン,ニューヨークやトロントと鉄道で結ばれ,今日にいたる工業発展の基礎が築かれた。1960年代には市の再開発がすすめられ,高層ビルや地下街,高速道路や地下鉄が建設され,1967年の万国博覧会開催地,76年のオリンピック開催地となった。しかし,二つの言語集団を抱えるモントリオールは1960年代からフランス系のケベック分離独立運動が活発となり,テロ事件が続発した。なお,セント・ローレンス川に沿って,1717年に築かれた城壁で囲まれた地域は〈ビユ・モンレアル(オールド・モントリオール)〉と呼ばれて,ノートル・ダム・ド・ボンスクール教会(1771建立),シャトー・ド・ラムゼー博物館,ノートル・ダム・ド・モンレアル教会など,多くの歴史的建物が残され,観光の見どころの一つとなっている。
執筆者:正井 泰夫
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