ハドソン湾会社(読み)ハドソンわんがいしゃ(英語表記)Hudson's Bay Company

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハドソン湾会社」の意味・わかりやすい解説

ハドソン湾会社
ハドソンわんがいしゃ
Hudson's Bay Company

17世紀から 19世紀後半にいたるまで,カナダの毛皮通商を独占したイギリスの特許会社。正式名は「ハドソン湾において通商に従事するイギリス冒険家たちと総督」といい,1670年5月2日,イギリス国王勅許を得て結成された。だいたい東はアンゲーバからハドソン湾周辺,西はロッキー山脈,南はレッド川流域からサスカチュワン水系までという広大な領域が与えられたと考えられている。初めの1世紀,会社は奥地への進出に関心を示さずハドソン湾岸の駐屯所にインディアンのほうから交易に訪れるのを待つ形をとっていたが,1774年にサスカチュワン川岸にカンバーランド・ハウスを建設したのを機に,内陸奥地へ進出した。しかしその結果,87年結成された北西会社と衝突し,1816年にはセブンオークスの虐殺のような流血惨事も引起された。こうした競争は両会社の負担を増し,21年北西会社がハドソン湾会社に合併されるという形で結合を強いられることになった。このとき以来会社とイギリス政府は 21年ごとに契約の更新をすることになったが,2回目の更新を目前にした 1850年代末のカナダはコンフェデレーションへの運動がめざましく,前途の不確定なことを自覚したイギリス政府は,59年ハドソン湾会社への特許を更新しないと発表した。 67年に成立したカナダ自治領政府は,北西部のかつてのハドソン湾会社の領有地をカナダ領にしようと交渉を開始し,結局 30万ポンドの代償と,将来農地となる土地の 20分の1は請求できるとの条件で,70年6月 15日一切の権利を政府に譲渡した。ハドソン湾会社はすでにそれ以前から毛皮交易以外の事業にも手を出していたが,現在はカナダのデパートなど小売業にその名をとどめている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハドソン湾会社」の意味・わかりやすい解説

ハドソン湾会社
はどそんわんがいしゃ
Hudson's Bay Company

1670年にイギリス国王チャールズ2世の特許により設立された貿易会社。正式名を「ハドソン湾で通商に従事するイギリス冒険家商会と総督」という。この名からもわかるように、ルパーツ・ランドとよばれた北アメリカ大陸の北部中央の広大な地域の通商と統治に従事していた。領有した地域は、現在のカナダ北西準州(ノースウエスト・テリトリーズ)、アルバータサスカチェワン、マニトバの諸州、そしてオンタリオとケベック両州の北方とされる。19世紀にはフランス系の北西会社と熾烈(しれつ)な競争を展開したが、1821年に両社は併合され、以後イギリス政府は同社に21年間有効の特許を更新していった。ゲリー砦(とりで)(現ウィニペグ近郊)を根拠地として毛皮交易で莫大(ばくだい)な利潤をあげたが、同社に所属した著名な探検家としてはH・ケルシーやS・ハーンがいる。

 1859年自由主義隆盛下のイギリス政府は特許を更新せず、アメリカ合衆国がこの地域の併合に食指を動かしたが、この地域への進出を熱望した連合カナダ植民地の農民は、英領北アメリカ植民地の統合という形で併合しようと、コンフェデレーションを推進した。1867年のカナダ自治領の成立とともに、69年、平和裏に広大な土地はカナダ政府に売却された。会社の数多い駐屯地は、その後カナダ西部の諸都市に発達している。現在はカナダのデパートにその名を残している。

[大原祐子]

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