モーリー‐ミントー改革(読み)もーりーみんとーかいかく

山川 世界史小辞典 改訂新版 「モーリー‐ミントー改革」の解説

モーリー‐ミントー改革(モーリー‐ミントーかいかく)
Morley-Minto Reforms

インド担当国務大臣モーリーとインド総督ミントーが推進したインド統治法改革のこと。1909年インド統治法としてまとめられた。この改革の狙いは,ベンガル分割反対運動以降高まった民族運動に対処するために,穏健派を取り込むと同時に,ヒンドゥームスリムを離反させる仕組みをつくることにあった。そのために制限選挙ではあるが,選挙制度が導入された。帝国立法参事会では,議席数が大幅にふやされ,選挙によって選出される議員が4割を占めることとされた。しかし他方では,ムスリムなどの代表を選出する選挙区を別個に設ける分離選挙制度が導入された。この他,行政参事会にインド人を加える改革などが行われたが,所期の目的を達成することができず,モンタギュー‐チェムスファド改革(1919年)が行われることになった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モーリー‐ミントー改革」の意味・わかりやすい解説

モーリー‐ミントー改革
もーりーみんとーかいかく

1905~08年のベンガル分割反対闘争に対処するため、イギリスのインド大臣モーリーJ.Morleyと総督ミントーG. Mintoが1909年に共同でインドに実施した政治改革。インド総督の行政参事会にインド人1名を加え、中央および州立法参事会の構成と機能に一定の改善を加えることを内容とする。しかし、総督を頂点とし高級官僚からなる行政部の絶対的権限はなんら変化を受けず、インド人参加の立法部の実質的権限拡大もなかった。重要なことは、導入された部分的選挙制がムスリム(イスラム教徒)の分離選挙区を設定している点で、これは1906年に結成されたムスリム連盟へのてこ入れであるとともに、国民会議派への牽制(けんせい)策の一環であり、インド政治機構に宗教に基づく民族分断を持ち込む端緒となった。

[内藤雅雄]

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