財産や納税の額、性別や人種などを基準にして選挙権を制限する制度。現在ではほとんど廃止された。選挙権は市民革命時代においても基本的人権とは考えられていなかった。たとえばピューリタン革命期に下層民の党派である平等派(レベラーズ)は自然権として普通選挙権を要求したが、クロムウェル革命政権は、選挙権は自然権ではなく財産をもつ者の特権(フランチャイズ)であるとして拒否した。このためイギリスでは1832年に第一次選挙法改正がなされるまで、成年男子の7分の1ぐらいしか選挙権をもたなかった。またフランス革命後も、成年男子300万人ほどが財産資格によって選挙権を制限されている。もっとも1793年憲法には普通選挙権が規定されていたが、ジャコバン派の支配が短命に終わったため実施されなかった。独立戦争後のアメリカでも黒人には選挙権が与えられなかった。
しかし、19世紀に入って労働者階級の勢力が増大し普通選挙権を求める声が高まるなかで、各国においてもしだいに選挙権が拡大され、参政権を基本的人権に加えて考えるようになった。すなわち、フランスでは1848年に男子普通選挙権が、アメリカでは69年に黒人に選挙権が与えられ、またイギリスでは1867年に第二次選挙法改正によって都市労働者にも選挙権が与えられ、さらに1918年には男子普通選挙権(30歳以上で一定の財産資格のある女性を含む)が実施された。
女性は19世紀末まで選挙権を与えられなかった。しかし、J・S・ミルの『女性の解放』(1869)が出版されたり、社会主義運動の台頭などによって女性参政権を要求する運動が急速に高まった。女性に最初に選挙権を与えたのはアメリカのワイオミング州(1890)であったといわれるが、世界で最初に男女平等普通選挙権を規定した憲法はドイツのワイマール憲法(1919)であった。イギリスは1928年、ソ連は36年に男女平等普通選挙権を認めたが、フランス、イタリアでは45年と遅く、スイスでは女性参政権を認めたのは71年のことであった。
日本では1925年(大正14)に男子普通選挙権が認められるまでは、納税額によって選挙権が制限されていた(1889年には直接国税15円、1900年には同10円、1919年には同3円)。そして第二次世界大戦後の1945年(昭和20)12月にようやく男女平等普通選挙権が認められたのである。
[田中 浩]
『高橋勇治・高柳信一編『政治と公法の諸問題』(1963・東京大学出版会)』▽『辻村みよ子著『「権利」としての選挙権――選挙権の本質と日本の選挙問題』(1989・勁草書房)』▽『日本選挙学会編『民主的選挙制度成熟へ向けて――政治文化基盤整備の視点から』(1992・北樹出版)』
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…狭義には,選挙権について,納税または財産の所有のような経済的要件による制限を認めない選挙制度をいうが,広義には,社会的地位,財産,納税,教育,信仰,人種,性別などによって選挙権を制限せず,成年の男女に等しく選挙権を認める制度をいう。普通選挙に対して,上述のような制限を伴った選挙を制限選挙という。狭義の普通選挙は,財産をもたない労働者階級の登場とその政治的自覚の高まりによって強く要求され,19世紀中ごろから普通選挙を実施する国が現れはじめた。…
※「制限選挙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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