日本大百科全書(ニッポニカ) 「メキシコ戦争」の意味・わかりやすい解説
メキシコ戦争
めきしこせんそう
アメリカ合衆国が国境紛争を口実にメキシコに侵略して広大な領土を獲得した戦争(1846.5~48.2)。メキシコはテキサス独立(1836)を承認せず、他方アメリカはメキシコに対しアメリカ市民の損害賠償請求権を主張して両国の関係は悪化していたが、45年末アメリカがテキサスを連邦に加入させるや、メキシコは国交を断絶、両国の関係は緊張した。アメリカのポーク政府はまず平和的解決を目ざし、45年末スライドルを密使として派遣、ニュー・メキシコとカリフォルニアを買収しようとしたが、メキシコ政府はスライドルを受け入れず、交渉は失敗。そこで大統領ポークは武力による威嚇政策に転換し、46年1月、ザカリー・テーラー将軍麾下(きか)のアメリカ軍に対し、ヌエセス川とリオ・グランデ川の間の係争地域への進軍を命令、同年4月25日、ついに両軍が衝突した。ポークは即時議会に開戦教書を送り、5月12日宣戦を布告した。
戦闘は、アメリカ軍の圧倒的優位のもとに展開した。テーラー将軍がただちにリオ・グランデを越えてメキシコ北部に侵入し、メキシコ軍を打破する一方、カーニー大佐の部隊がニュー・メキシコを征服、さらにカリフォルニアに進撃し、現地アメリカ人の反乱とストックトン提督麾下の艦隊による海からの支援で、サン・ディエゴ、ロサンゼルス、モンテレーを占領し、カリフォルニアを制圧した。さらにスコット将軍がベラクルスを占領してメキシコ市に進撃、1847年9月占領した。メキシコ軍司令官サンタ・アナは辞任して国外へ亡命、臨時政府とアメリカ側特使トリストが講和条約の交渉を進め、48年2月2日、メキシコ市近郊のグアダルーペ・イダルゴ村で講和条約を締結。ポーク政府の要請でアメリカ議会は同条約(グアダルーペ・イダルゴ条約)を批准した。これによってアメリカはニュー・メキシコとカリフォルニアを獲得し、太平洋岸に至る大陸的膨張を完成した。
この戦争は「アメリカ史上もっとも不正な戦争」(グラント)として知られ、議会内でもリンカーンを含めて反対が強かったが、西部、南西部の膨張主義者や太平洋岸の港と東アジア貿易の利益を希求する大西洋岸の商人たちは、「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)の名のもとにカリフォルニア併合を推進し、一時は全メキシコ領獲得さえ唱道した。戦争の結果、奴隷制論争が再燃し、フロンティアが太平洋岸まで広がり、地峡運河建設問題も浮上した。
[高橋 章]