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ラオス内戦 ラオスないせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラオス内戦
ラオスないせん

ラオス王国独立ののち 1975年のラオス人民民主共和国成立まで続いた左右両派による内戦。旧フランス領インドシナの一角を形成したラオス王国は,プーマ殿下の対仏交渉により,53年 10月完全独立を達成した。しかしインドシナ共産党ラオス委員会 (のちラオス人民革命党 ) との連携のもとに 50年8月結成されたラオス自由戦線 (のちラオス愛国戦線 ) は,51年以降ベトミン軍の援助で支配地域を拡大していた。これに危機感をいだいた右派勢力は,58年8月プーマ政権を打倒,アメリカの支援を受けた右派と北ベトナムの支援を受けた左派との内戦状態となり,さらにプーマ支持勢力も中立派としてこれに加わった。 61年5月和平協定によりプーマを首班とする3派連合政府が樹立されたが,63年3月以降再び左右両派の内戦となった。ベトナム戦争の激化を背景に,愛国戦線は北ベトナム軍の支援下に各地で攻勢をとり,ベトナム和平協定成立直後の 73年2月,再び和平協定が成立し (→ラオス和平協定 ) ,これによって愛国戦線の立場は一層有利となった。愛国戦線の背後にあった人民革命党は 74年3月,「救国闘争」を継続するとの声明を発表し,前面に姿を現した。人民革命党は 75年春のベトナムおよびカンボジアでの共産勢力の勝利後攻勢を拡大し,同年 12月には王制を廃止しラオス人民民主共和国を樹立した。

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