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ラザク Razak bin Hussain, Tun Abdul

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラザク
Razak bin Hussain, Tun Abdul

[生]1922.3.11. ペカン
[没]1976.1.14. ロンドン
マレーシアの政治家マラヤ大学などを卒業後,ロンドンに留学。第2次世界大戦中は抗日運動に参加。 1955年マラヤ連邦立法会議員となり教育相をつとめ,独立後の 57年以来副首相兼国防相,農村開発相などを歴任した。 69年5月 13日数千人の死傷者を出した人種暴動の際には非常事態宣言のもとに国家運営評議会議長として非常大権を握り,すみやかな秩序回復に努めた。 70年9月から T. A.ラーマン首相の後継者として首相兼外相,国防相をつとめたが,76年1月,東南アジア諸国連合 ASEAN首脳会議を前に急死

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラザク
らざく
Tun Abdul Razak bin Hussein
(1922―1976)

マレーシアの政治家。パハン州生まれ。シンガポールのラッフルズ学院卒業。1947年ロンドンに留学、アブドル・ラーマンらとともに独立運動に献身。1950年帰国し、イギリス領マラヤの官吏を経て1955年立法議員として政界入り。1957年マラヤ独立とともにラーマン内閣の副首相兼国防相。1969年の人種暴動(五・一三事件)に伴う非常事態収拾のため、国家運営評議会議長として活躍。1970年ラーマンの辞職を受けて首相に就任した。国内的にはマレー人(ブミプートラ)優先政策を確立し、対外的には非同盟政策を展開、1974年にはASEAN(アセアン)諸国の先端を切って中国との国交を正常化した。[黒柳米司]

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20世紀西洋人名事典の解説

ラザク
Tun Haji Abdul Razak bin Hussein


1922 - 1976.1.14
マレーシアの政治家。
元・マレーシア首相。
パハン州生まれ。
マレーシアの政治家で、1947年ロンドンに留学し、アブドル・ラーマンと独立運動に参加。帰国後、’55年には政界入りし立法議員となった。’57年マラヤが独立するとラーマン内閣で副首相と国防相を兼務した。’70年ラーマンが辞職すると首相。マレー人優先対策をとり、対外的にも非同盟政策を展開した。また’74年には中国との国交正常化のため奔走した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

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