東南アジア諸国連合(読み)トウナンアジアショコクレンゴウ

デジタル大辞泉 「東南アジア諸国連合」の意味・読み・例文・類語

とうなんアジアしょこく‐れんごう〔‐レンガフ〕【東南アジア諸国連合】

アセアン(ASEAN)

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「東南アジア諸国連合」の解説

東南アジア諸国連合(ASEAN)

1967年、紛争が絶えない地域の安定を目指し設立された地域協力機構。10カ国が加盟、域内人口は約6億8千万人。冷戦後は経済統合を深め、連帯によって発言力を増した。欧州連合(EU)と違い政策実施機関を持たず、国家主権の移譲もない。王政のブルネイ、一党独裁のベトナムやラオス、民主主義フィリピンインドネシアと多様な政体を内包。定期的な会合で、米中など域外大国に対話の場を提供してきた。(シンガポール共同)

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「東南アジア諸国連合」の意味・読み・例文・類語

とうなんアジア‐しょこくれんごう‥ショコクレンガフ【東南アジア諸国連合】

  1. ( [英語] Association of Southeast Asian Nations の訳語 ) インドネシア、タイ、フィリピン、マレーシア、シンガポールの五か国が一九六七年結成した地域協力機構。その後、ブルネイ、ベトナム、ラオス、ミャンマーが加入。さらに一九九九年、カンボジアが加入し、加盟一〇か国によるアセアン10が発足した。本部はジャカルタ。略称ASEAN。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「東南アジア諸国連合」の意味・わかりやすい解説

東南アジア諸国連合【とうなんアジアしょこくれんごう】

Association of South-East Asian Nations。略称ASEAN(アセアン)。域内の経済的・社会的基盤の確立と国家開発をめざす協力機構。1967年東南アジア連合(1961年成立,略称ASA。加盟国タイ,マレーシア,フィリピン)が発展的に解消して成立。加盟国10ヵ国(旧ASA諸国とインドネシア,シンガポール,ブルネイ,ベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア)。事務局はジャカルタ。アジア・太平洋地域の安全保障問題を多国家間で協議するため,1994年以来ASEAN地域フォーラム(略称ARF)の場が設けられ,ASEAN10ヵ国のほか,日本・中国・韓国やアメリカ・ロシア・ヨーロッパ連合(EU)などの閣僚が会合,2000年には朝鮮民主主義人民共和国も参加し,加盟国・機構は23に及ぶ。ASEAN+3(日本,中国,韓国)の枠組みによる対話は,東南アジアと東北アジアの接点を強化する意味が大きい。また東南アジア友好協力条約(TAC,1976)は,ASEANの実質的な根拠条約であるが,2003年中国とインドが,2004年日本,2005年ニュージーランドオーストラリアもこの条約に署名した。2003年バリでの首脳会議で2020年を目途とする〈東アジア共同体〉形成に合意し,2004年の〈ASEAN+3〉外相会議で〈東アジア・サミット〉の開催を決めた(2005年12月クアラルンプールで開催)。2009年財務相会合でインフラ整備のための〈ASEANインフラ基金〉創設を確認し,緊急時に外貨を融通する〈チェンマイ・イニシャチブ〉多国間基金への各国外貨準備の拠出額を合意した。80%は日本,中国,韓国が負担する。しかし日本とのASEAN全体とのFTA交渉は,2008年に日本・ASEAN包括的経済連携協定が締結されて以降進展せず,2010年に成立した中国・ASEAN自由貿易協定(ACFTA)が先行している。また,世界経済における東南アジアの比重が高まるにつれ,EUをはじめ他の経済圏からのアプローチも積極的に展開されるようになり,ASEANを中心としたアジア諸国とヨーロッパ連合(EU)加盟国およびヨーロッパ委員会との間で,1996年から2年ごとにアジア・ヨーロッパ会議ASEM)が開催されている。中国が2015年に設立を目指すAIIBにASEAN諸国は一斉に参加を表明,ASEAN諸国からは日本の孤立化を懸念する声が出ている。→東アジア経済会議ASEAN自由貿易圏東南アジア非核地帯条約
→関連項目アジア・ヨーロッパ会議雁行形態論環太平洋経済圏構想カンボジア経済連携協定ドイモイ東南アジア難民日本バーツ経済圏ブルネイベトナムマレーシアメコン総合開発ラオスリージョナリズム

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「東南アジア諸国連合」の意味・わかりやすい解説

東南アジア諸国連合 (とうなんアジアしょこくれんごう)
Association of South-East Asian Nations

東南アジアにおける最初の本格的な地域協力機構として,1967年8月にインドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイの5ヵ国によって設立された。略称はASEAN(アセアン)。当初は,冷戦と地域紛争を切り離し,相互対立に代わって,社会・経済,文化面の相互協力を促進させることを目的としていた。しかし,70年代に入ってニクソン・ドクトリンによるアメリカの〈アジア離れ〉や,米中接近に見るアジアでの緊張緩和が進むと,東南アジア地域における大国間のバランスを求めた〈中立地帯宣言〉(1971)を打ち出し,地域紛争の自主的・平和的解決の方向を明確にした。75年のサイゴン陥落後,域内緊張が高まり,とくに79年のベトナム軍のカンボジア侵攻によって危機は深まったが,インドシナ諸国との共存を求めた自主的解決の政策を保つことで,地域平和の維持に成功し,広く国際社会で注目を浴びるようになった。

 他方,この間に各国は強権によってではあれ,国内的な政治の安定と著しい経済成長を遂げた。経済開発が軌道に乗り,先進工業国との貿易,投資等の経済関係が深まるにつれ,共通の利益を促進するための機構上の整備が進んだ。決定機関である外相会議の下に,常設の中央事務局がジャカルタに開設されたほか,経済閣僚会議を中心とした貿易,資源,技術等の協力のための委員会が設けられ,域内特恵制度の拡充や関税引下げなど,域内経済協力を強めている。このようにして今日では発展途上国の地域協力機構のモデルとされるまでにいたっている。

 日本は各国と個別的に経済関係を軸として協力関係を築いてきたが,とくに1977年の第2回首脳会議よりアジア・太平洋地域の先進国を含む拡大外相会議に参加し,ASEAN全体への協力を強めてきた。最近では相互依存の深まりとともに,各国から日本の市場開放や技術移転等の要求が強まっている。84年にブルネイ,95年にベトナム,97年にラオスとミャンマー,99年にカンボジアを加えて10ヵ国となり,東南アジアの全域をカバーする機構になったASEANとの関係は,ますます重要性を増している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東南アジア諸国連合」の意味・わかりやすい解説

東南アジア諸国連合
とうなんアジアしょこくれんごう
Association of Southeast Asian Nations; ASEAN

東南アジア 10ヵ国の地域協力機構。1967年8月,経済成長,社会・文化の発展,政治の安定などを目的にインドネシアシンガポールタイフィリピンマレーシアの 5ヵ国によって設立された。1984年にブルネイ,1995年にベトナム,1997年にラオスミャンマー,1999年にカンボジアが加盟し,東南アジア全域を領域とする大型地域協力機構が実現した。中央事務局をインドネシアの首都ジャカルタに置く。最高意思決定機関は東南アジア諸国連合首脳会議で,東南アジア諸国連合外相会議などがある。発足当初は経済,社会,文化における加盟国相互の協力を主目的としていたが,中国,ベトナムをめぐるアジア情勢の変化に対応して 1971年にはクアラルンプール宣言(東南アジア中立化宣言)を出し,1976年の第1回首脳会議では ASEAN協和宣言の提出,東南アジア友好協力条約締結を行なうなど加盟諸国の政治的団結と中立化の動きが活発化した。ASEANを取り巻く政治や経済状況の変化に伴い域内の経済協力強化が迫られ,1993年の域内関税引き下げを経て 2010年に先行加盟 6ヵ国間の関税が撤廃された。2003年に ASEAN共同体 ACの実現を宣言,2007年には ASEAN憲章が署名された。域外との関係では,1979年に日本,アメリカ合衆国,オーストラリア,ニュージーランドおよびヨーロッパ共同体 EC(現ヨーロッパ連合 EU)を加えた拡大外相会議が開催され,その後カナダ,大韓民国(韓国),インド,中国,ロシアと順次拡大した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

知恵蔵 「東南アジア諸国連合」の解説

東南アジア諸国連合

1967年8月8日、バンコクで設立。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイが当初メンバーで、84年にブルネイ、95年にベトナム、97年にミャンマーとラオス、99年にカンボジアが加わり、東南アジア全域をカバーするようになった(ASEAN10)。第三世界でも例外的に成功した地域協力組織の1つ。当初掲げた目的は経済・社会分野での地域協力で、最高決定機関は外相会議(定期閣僚会議)。毎年7月前後に、主催国を替えて開催。75年以降はこれとは別に、経済担当閣僚会議が年に1、2回、開かれる。またASEANは72、73年から欧州連合(EU)及びオーストラリアとの域外対話を開始した。現在は、日本、中国、韓国とニュージーランド、カナダ、米国、ロシア、インド、パキスタンを加えた計11が「域外対話国・機関」と呼ばれ、外相会議の直後に招かれ拡大外相会議を開く。76年2月にはバリ島でASEAN首脳が初めて一堂に会し、ASEAN協和宣言が発表された。これにより政治協力がASEANの地域協力の正式な一分野となり、同時に締結された東南アジア友好協力条約(TAC)は、ASEANの実質的な根拠条約となった。ASEANの地域協力の活動面では、政治分野での協力が当初から注目された。ベトナム戦争が激化する過程で発足し、80年代はインドネシア情勢をめぐり政治的団結を誇示した。冷戦終結後は世界秩序の急速な変化に対処するべく、安全保障面で様々な模索を試みる。ASEAN10カ国は東アジア地域の協力体制の緊密化を目的に、97年に日中韓の3カ国首脳との初の非公式会合を持ち、その後ASEAN+3として外相らによる対話の場が定例化した。加盟10カ国首脳は2007年11月20日、最高規範となるASEAN憲章に署名した。

(片山裕 神戸大学教授 / 2008年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「東南アジア諸国連合」の解説

東南アジア諸国連合
とうなんアジアしょこくれんごう
Association of Southeast Asian Nations

東南アジア諸国の地域協力機構。略称ASEAN (アセアン)
1967年,マレーシア・フィリピン・タイ・シンガポール・インドネシアの5か国によって結成された。ヴェトナム戦争中ということもあり,当初は経済・社会・文化面のゆるやかな協力にとどめ,反共軍事同盟的色彩が強かったが,戦争の大勢が明らかとなった1971年,マレーシアのラザク首相が提唱したクアラルンプル宣言(東南アジア中立化宣言)が採択されてから,政治・経済面での地域協力機構に移行した。その後,1984年にブルネイが加わり,冷戦体制崩壊後の94年,ASEAN地域フォーラムが開催され,アジアの平和維持の面でも重要な役割を担うようになった。1995年にはヴェトナム,97年にはラオス・ミャンマーが加盟し,99年にはカンボジアの正式加盟が認められ,文字通り東南アジア諸国の協力機構となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「東南アジア諸国連合」の解説

東南アジア諸国連合(ASEAN)(とうなんアジアしょこくれんごう)
Association of South-East Asian Nations

1967年8月,タイ,インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポールが設立した地域協力機構。84年ブルネイ加盟。域内外の情勢変化に応じ,協力は社会,経済,文化面から政治,安全保障面まで広がった。95年ベトナム,97年ラオス,ミャンマー,99年カンボジア加盟で東南アジア全10カ国体制に拡大し,地域連合として域内外の問題に一体的対応に努めている。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「東南アジア諸国連合」の解説

東南アジア諸国連合
とうなんアジアしょこくれんごう

ASEAN(アセアン)

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「東南アジア諸国連合」の意味・わかりやすい解説

東南アジア諸国連合
とうなんあじあしょこくれんごう

ASEAN

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の東南アジア諸国連合の言及

【南方特別留学生】より

… それぞれの母国に帰った留学生たち(留学生のうち4名は原爆,空襲で死亡)の中から首相(ブルネイのベンギラン・ユソフ),閣僚,大使,大学総長,会社社長などが生まれ,今日,政・財・学界で指導的立場にある。彼らはおしなべて親日家であり,77年に結成されたASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)元日本留学生協議会の有力メンバーであり,日本との親善,文化交流に努力している。 南方特別留学生制度は南方地域から集団で留学させた最初の試みであった。…

※「東南アジア諸国連合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android