日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ランドスケープ・デザイン
らんどすけーぷでざいん
Landscape Design
ランドスケープは「風景」「景観」などと訳される。狭義には「眺め」そのもの、あるいはそれを通して捉えられる土地の広がりをさすが、広義には「自然」と「人間」のかかわりの様態であると考えられ、これをデザインする行為、またはその職能をランドスケープ・デザインという。学問的・技術的体系としてのランドスケープ・アーキテクチャー(造園)に含まれる一つの分野とする場合もある。
近代的な職能としてのランドスケープ・デザインはアメリカにおいて確立した。18世紀のイギリスで発達した風景式庭園(ランドスケープ・ガーデン)の影響のもと、ニューヨークのセントラル・パーク(1858)を設計したフレデリック・オルムステッドFrederick Law Olmsted(1822―1903)は、自らの職能としてランドスケープ・アーキテクチャーを提唱し、多くの都市計画、公園計画にかかわり、この分野の基礎を築いた。1899年にアメリカ・ランドスケープアーキテクト協会が設立され、1900年にはハーバード大学に教育コースが設置された。
20世紀、都市の拡大とともにランドスケープ・デザインの領域も拡大した。20世紀半ばには、建築のモダニズム運動に同調するように、ダン・カイリーDan Kiley(1912―2004)、ガレット・エクボGarrett Eckbo(1910―2000)、ローレンス・ハルプリンLawrence Halprin(1916―2009)らによるランドスケープのモダニズム運動が展開し、住宅庭園のデザインから、都市のアクティビティを支える公共の場のデザインまで、さまざまな試みが行われた。また、1970年代には、環境問題への市民意識の高まりから、ランドスケープ・デザインの社会的な意義として環境エンジニアリング的な側面が喧伝され、広く影響を与えたが、1980年代から1990年代には、ピーター・ウォーカーらによるランドスケープの芸術的な側面の「復権」が提唱・実践された。
日本において、ランドスケープ・アーキテクチャーは明治期に「造園学」と訳され、伝統的庭園の技法を継承しつつ、おもに公園や公共緑地などの整備を中心とする公共造園において展開した。学術団体である社団法人日本造園学会は1925年(大正14)設立された。この時期のプロジェクトとしては、明治神宮内苑(1920)、明治神宮外苑(1926)の造園がある。第二次世界大戦後は、高度経済成長による急速な都市化、開発・自然破壊に対する理論的・物理的な抑止、補償の役割が強調された。1990年代には、建築・土木などの隣接分野からその枠組みを拡げるものとしても注目され、多くのコラボレーションによるプロジェクトが試みられた。
また、近年のヨーロッパでは、古典的な庭園様式の現代的な解釈を都市公園に応用するフランスや、広域的な自然生態系の保全・風景化を進めるドイツ、人工的に建設された国土で人為と自然の干渉をダイナミックに表現するオランダなどで、注目すべき意欲的な試みが多くなされている。
ランドスケープ・デザインの変遷には、それぞれの時代や地域の要請の違いが反映されている。近・現代を通じて、世界中のランドスケープ・デザインは、アメリカのデザインの圧倒的な影響のもとにあった。しかし「自然」「人間」の像が地域や時代によって異なるものであってみれば、ランドスケープは本来、多様に解釈されるものであり、それを対象とするデザインもその地域、文化に固有の方法論がありうる。地球規模の環境問題への応答とともに、地域的・文化的固有性への応答が今後のランドスケープ・デザインの課題となるだろう。
[石川 初]
『日本造園学会編著『ランドスケープ大系』全5巻(1996~1999・技報堂出版)』▽『ピーター・ウォーカー、メラニー・サイモ著、佐々木葉二・宮城俊作訳『見えない庭』(1997・鹿島出版会)』▽『宮城俊作著『ランドスケープデザインの視座』(2001・学芸出版社)』▽『landscape network 901編『ランドスケープ批評宣言』(2002・INAX出版)』