大正一〇年(一九二一)に創建された明治神宮の社叢であり境内でもある内苑に対し、スポーツ施設を主とし、広い芝生、並木道をもった記念公園として整備されたのが外苑で、同一五年に元陸軍青山練兵場(明治一九年からのちの四谷区四谷霞丘町・同大番町・同西信濃町から赤坂区青山三筋町一―三丁目・同北町一―三丁目にかけて用地の買収が始まった)の地に完成した。苑内には聖徳記念絵画館・陸上競技場・児童遊園・葬場殿址記念物・池泉・野球場、水球場(昭和五年開設)・相撲場・庭球場・庭園などの諸施設が設けられ、大正七年には憲法記念館(明治憲法草案を審議した赤坂御所別館を受贈した伊藤博文が明治四〇年大井町の自宅に移築した恩賜館がもと)が移築竣成、大正一四年には日本青年館などが完成している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都新宿区霞ヶ丘町,港区北青山に所在。明治神宮造営にあたって,1914年旧青山練兵場が明治天皇を記念する公園施設として外苑とされた。内苑が国費で造られた広大な森林の苑地であるのに対し,外苑は国民の献金によって造成され,聖徳(せいとく)記念絵画館を中心とする明るい公園的性格をもつ。19年着工,26年10月外苑完成奉献式が行われた。公園軸線の中央に絵画館,東側の権田原に憲法記念館(大日本帝国憲法草案が審議された。現在の明治記念館で,結婚式場として公開),運動施設として陸上競技場,野球場,相撲場が建設された。陸上競技場は竣工した24年から明治神宮競技大会の会場,26年完成した野球場は東京六大学野球の会場として名が知られた。第2次大戦後,第二球場(旧,相撲場),テニスコートが加わり,西側に隣接して国立競技場(旧陸上競技場),秩父宮ラグビー場,また都体育館などを含む都立明治公園ができて,これらを含めると58ha(明治神宮管理地は30ha)の広さとなった。絵画館前の大芝生から国道246号へ伸びる,軸線上の4列のイチョウ並木は,今日では名所となりつつある。
執筆者:田中 正大
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都港区北西端から新宿区、渋谷区にまたがる緑地。面積約30万平方メートル。明治時代、青山練兵場であったが、明治天皇崩御(ほうぎょ)の際、葬場となり、明治神宮が創立されたとき、記念施設として民間の献金により外苑が造成された。1919年(大正8)起工、1926年完成した。明治天皇・昭憲(しょうけん)皇太后の事績を描いた絵画を陳列した聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)があり、青山通り(国道246号)から絵画館前へ通ずるイチョウ並木は、東京におけるもっとも美しい街路樹の一つである。この絵画館を中心として、国立競技場、神宮球場、秩父宮ラグビー場(ちちぶのみやらぐびーじょう)、東京体育館、日本青年館、明治記念館などスポーツ、文化施設が集まっている。JR中央線千駄ヶ谷駅・信濃町駅、都営地下鉄大江戸線国立競技場駅、東京地下鉄銀座線外苑前駅および、都営地下鉄大江戸線、東京地下鉄銀座線・半蔵門線の青山一丁目駅に近い。
[沢田 清]
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