翻訳|deterrence
国家間の軍事的関係において,相手方から危害や攻撃を受けるおそれのあるとき,相手のそのような行為に対して報復の形で相手により大きな損害を与えうることを黙示的あるいは明示的にわからせて,その行為を思いとどまらせることを予期する戦略をいう。このような抑止の戦略は,ソ連が原爆実験に成功(1949)してアメリカの核独占が終わり,核弾頭の運搬手段であるICBMの開発を含めて米ソ間で核兵器競争が激化した1950年代に入って生まれたものであり,以後の核戦略理論は,すべてこの抑止の思想を中心として展開されている。
核時代以前の軍備や軍事同盟についても〈抑止〉がいわれることもあるが,核時代以前には,平和は次の戦争までの休止期間にとどまり,軍備は結局戦争への準備にほかならず,抑止への期待も二義的なものにとどまっていたといえよう。第2次大戦後の核兵器の出現によって,従来の勢力均衡という国際関係のシステムはその意味を根本的に変えることになった。古典的な勢力均衡は国家間で行使される暴力の程度を穏健なものにするという側面を含んでいたが,核時代の到来とともに軍事力のもつ抑止機能がいっそう強調されるようになり,超大国米ソを中心にその領域もいちじるしく肥大化したのである。そして,一方が核兵器による先制攻撃をしかければ,他方の報復攻撃によって自国も壊滅するところから,双方ともに先制の第一撃に抑制が働くという,〈核抑止nuclear deterrence〉の考え方が出されるにいたった。しかし,核抑止が働いているとしても偶発戦争までは避けられず,抑止の均衡はすなわち恐怖の均衡を意味することとなり,絶滅の危機をはらむものとなったのである。
核時代に入ってからは,従来の戦争においてみられたような,敵の侵略意図をうちくだく〈拒否による抑止〉のみならず,敵に対して侵略をはるかに上回るような損害を与える〈科罰による抑止〉まで登場してきた。アメリカの核兵器による大量報復戦略と結合した常時即応戦略は,科罰による抑止の象徴的表現となった。それは,1956年に国務長官J.F.ダレスによる戦争瀬戸際政策として現実に発動された。ついで米ソ間での核手づまり状況の出現とともに,一方では,相手の都市や工業中枢に対する確証破壊能力で満足する〈第二撃抑止論〉が,他方では,ゲリラ戦争から通常戦争を経て,限定核戦争,全面核戦争にいたるまでのさまざまな局面でそれぞれに対応しなければならないとする〈柔軟反応戦略〉が唱道されるようになった。さらに,柔軟反応戦略は現実に戦闘で勝利する形でのエスカレーション論を含んでいたので,核戦争レベルでもその延長線上で,長引く核戦争に勝ちぬく戦略が構想されざるをえなくなった。しかし,敵の軍事目標に対して核攻撃を加えるこの種の〈対兵力戦略〉は,ミサイル命中精度のいちじるしい向上によって第二撃抑止の有効性を大きく減殺した。80年代に入って,事故,狂気,誤算などによる核抑止状況の崩壊以外に,原理的にも第一撃ないし先制攻撃が可能であり,かつ必要であるという危機感が生まれ,それが90年代初頭の冷戦体制の崩壊にいたるまで核軍拡競争の激化と不安定化をもたらした。
核抑止論は,核兵器は戦争の抑止のために必要であり,実際に使う兵器ではないという前提に立って主張されているが,上述のように限定核戦争などという形で実際に使用できる核兵器にしなければ核抑止を強化できないという矛盾をはらんでいる。
→核戦略 →国防
執筆者:関 寛治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
抑止とは、一般に自らの力を行使するとみせて他者を威嚇し、他者に一定の行動を抑えとどまらせることを意味する。処罰や制裁という脅しによって他者の行動に影響を与えるという点にかんがみれば、権力行使の一変種であるといえる。この抑止概念は、おもに冷戦時代の米ソ間の核戦略上でみられた現象であり、自らの核兵器を可能な限り拡大・増強することで報復攻撃能力を高め、相手側の先制攻撃を踏みとどまらせるものであった。それゆえに、米ソ両国の間では相互核抑止mutual nuclear deterrenceのシステムが存在し、相互に核の使用を抑止するという関係ができあがっていた。つまりそれは相手側の攻撃におびえるがあまり、相手以上の核を保有することになり、「恐怖の均衡」ともいえるものであった。その恐怖の均衡の呪縛(じゅばく)から解放されない以上、核兵器増強は必然であり、相手側の国民を何度も殺せるほどの過剰殺戮(さつりく)能力を保有しあう結果になった。そうした能力の保有は逆説的にいっそう米ソ間に核戦争の発生を絶対的に防止する要請を生じさせ、米ソ核戦争防止のための危機管理装置の制度化を模索させたのである。
結果的に両国間の抑止メカニズムは核戦争が発生しなかったという意味で効果を発揮したといえるが、その場合に重要なのは、両者がともに損得といった合理的な計算を行いうる状態にあるということである。仮に自らの攻撃が自らの壊滅につながることも「是(ぜ)」とする思考であれば、抑止のメカニズムは作動しない。抑止には合理的な計算を行いうる対称的な勢力の関係が必要である。ベトナム戦争においてアメリカの威嚇や制裁を無視してベトナム解放勢力が戦い、勝利を収めたように、非対称的な関係においては抑止が作動する可能性は乏しくなってくる。その意味からすれば、アメリカのたび重なる威嚇に対する、イスラム原理主義過激派の対米攻撃の継続、そしてイラクのサダム・フセイン体制時にみられた強硬姿勢の堅持、北朝鮮の金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)体制による核開発再開を通じての対米挑戦姿勢などは、非対称性による抑止機能の不全を示す事例といえる。したがって、アメリカが21世紀安全保障戦略の一環とするミサイル防衛構想は抑止概念が背景に存在しているといえるが、アメリカとは非対称的な敵対勢力に関する実効性は乏しいといわざるをえない。
[青木一能]
『日本国際政治学会編・刊『転換期の核抑止と軍備管理』(1989)』▽『佐藤誠三郎編『東西関係の戦略論的分析』(1990・日本国際問題研究所)』▽『ロバート・D・グリーン著、梅林宏道・阿部純子訳『検証「核抑止論」――現代の「裸の王様」』(2000・高文研)』▽『吉田文彦著『証言・核抑止の世紀――科学と政治はこう動いた』(2000・朝日新聞社)』▽『金田秀昭著『弾道ミサイル防衛入門――新たな核抑止戦略とわが国のBMD』(2003・かや書房)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…米ソの圧倒的な核戦力のもとで,それぞれの同盟国はその主権の一部を放棄して米ソの戦略に協力し,その生存すら米ソにゆだねることを迫られていたともいえる。
[抑止の思想]
核戦略の基本となってきた思想は,米ソ両核超大国を含めて〈抑止deterrence〉である。核兵器は巨大な破壊力を持っており,この使用は人類の破滅につながる。…
…CBMを基礎とした多国間システムの形成は,今後大きな趨勢となろう。【岩島 久夫】
[総合的安全保障への道]
古典的安全保障は軍事的な意味に限られ,国防と抑止との2機能から成っていた。抑止は,敵がその軍事行動から期待しうる利得を上回るような損害と危険とを予期できれば,敵もその軍事行動を思いとどまるだろうという期待にもとづいている。…
… 米ソの核戦略は,おのおのの同盟国の国家戦略にも複雑な影響を与えてきた。核時代に入って,東西の集団的安全保障体制が形成され,東西の同盟国はそれぞれ,その安全保障を米ソの核抑止力に依存してきた。同盟国は集団的安全保障による東西それぞれの結束を重視すればするほど,自国の独自性を放棄し,米ソそれぞれの世界戦略に協調することを余儀なくされてきた。…
※「抑止」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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