日本大百科全書(ニッポニカ) 「環境問題」の意味・わかりやすい解説
環境問題
かんきょうもんだい
広くは生物を取り巻いている外界に発生する、生物にとって有害な現象一般をいう。狭義には、人類の活動が人類を取り巻く環境あるいは自然総体に対して各種の干渉を行い、悪影響を生じさせる現象を取り上げていう。
今日の文明は、自然に対して人類が絶え間なく挑戦を試みた結果築かれたには違いない。しかし、人類の力があまりにも巨大化して、自然がこれを包摂できなくなったときには、自然の平衡状態が崩壊に瀕(ひん)することになる。地球としての系は、大小各種各様のサブシステムが相互に絡み合いながら、これらを統合して成り立っている。これが、人類の力の拡大につれて、あたかも自然に対立する人間独自の系が構築されたかのようになった。しかも、人類が工業を産業の中核に据え、化石燃料の利用により大量のエネルギーを駆使して機械文明を確立するようになると、この力によって自然を収奪して資源を浪費するばかりか、大量の汚染物質を生成して自然界にまき散らすようになった。
これが、人類自らの生命・健康に直接間接の災厄をもたらすようになり、人類の系を内部から崩し始め、さらには人類の系の存立基盤である地球としての系―自然までも危機に導くおそれを生じさせた。このような事態は18世紀の産業革命から進行し始めた。とりわけ、第二次世界大戦のあと、発達した軍事科学の成果を取り入れた技術革新により、石油化学工業を中心にした重化学工業が、世界的に拡大飛躍を遂げるようになると、問題が一挙に深刻になった。この時期に入ると、エネルギーの消費量や自然からの収奪は幾桁(けた)にも増加したばかりか、大量の未知物質が次々につくりだされて、自然を根底から揺り動かすようになった。こうして、かつては人類が無限に依存できると信じられていた地球が、小さな宇宙船に例えられるまでになった。
ここに、現代の環境問題の特色がある。
[松田雄孝]
現代の環境問題の特色
都市と環境問題
環境問題は、一般にはまず公害現象による健康被害、乱開発による国土の荒廃などとして現れたが、現代の環境問題をいっそう深刻にしたのは、工業化に伴う都市化現象である。工業化の進展によって、まず工業先進国においては、工業を基盤とする近代都市が急速に発達し、国民の大部分がこの都市へ集中するようになった。
都市は、元来が人工的なシステムであり、多かれ少なかれその内部では自然から遮断される。そこで、都市では、本来自然が営んできた作用の代替として、また都市が高密度なため自然の力が及びにくくなった作用の補強として、多くの施設やこれらを動かすシステムを必要とする。これらは都市機能を高め維持するための道路・通信網あるいは市民の生活にかかわる市場、水道、下水道、廃棄物処理システム、衛生管理、安全管理、災害対策と、都市活動のあらゆる方面にわたっている。
こうした施設には時代によって、かなりの偏りがみられる。19世紀の近代都市出現時では、都市経営の基本に、近代の特色である富の獲得、利潤の確保に最大の価値を置く風潮があり、これが都市の機能の重点をもっぱら生産基盤の整備へ傾けさせ、住民の居住生活機能を軽視する傾向をとらせたため、こうした施設が大きく不足することになった。それが、貧困、住宅難、水不足、不衛生、疫病の蔓延(まんえん)、交通難、公害等々と各種環境問題や都市問題を噴出させる直接間接の原因となった。皮肉なことには、こうした都市が一国の経済的、社会的、政治的、文化的基幹となり、国民の大部分が都市に囲い込まれ、その生涯を過ごし、次代の青少年を育てていかねばならなくなった。
工業化の先頭を進んだイギリスでは、19世紀には早くも環境問題が激化して、労働問題とともに厳しい社会的相克を引き起こしている。このような事態は、産業革命が進行する過程であらゆる国に発生しており、遅れて工業を進めたところほど、工業先進国に追い付くための無理が重なって、かえって事態を深刻にした。この都市問題の本質は、現代においても変わらない。重化学工業化の進展に伴って世界的に産業人口の都市集中がいっそう激しくなり、その結果、都市はふたたび変貌(へんぼう)して、巨大都市に象徴される現代都市が急速に発達した。これを可能にしたのはモータリゼーションの普及である。この現代都市は巨大な都市圏と超高密度性を特色とする。これが、近代都市以上に環境問題を悪化させる一つの大きな要因となり、この巨大な構築物の機能を失わせかねない難問を山積させるようになった。
[松田雄孝]
日本の環境問題の特色
明治維新により欧米に約100年遅れて近代化に取り組んだ日本は、1950年(昭和25)ごろまでは、いわば近代化の前段階にあったといえる。この間にも、工業後進国としての無理から、足尾銅山鉱毒事件のような、農民と農業を犠牲にしても工業化の急速な進行を図ったことから発生した悲惨な災厄が少なからずあった。これは、その後の公害問題ないし環境問題の原型ともいえる事件であった。他方、都市では、その後進性がもろもろの環境問題を緩和することになった。この時代の都市は、日本経済の後進性をそのまま反映して、近代都市としては総体に社会資本が貧弱であり、加えて、生産基盤整備に追われて生活関連の新規社会資本投資には、きわめて消極的であった。
しかし、江戸時代300年の泰平期に、城下町、門前町、商工業の町などが多様に発達して、ある程度居住地を中心に社会資本が充足されて都市的設備を備え、封建都市としては良好な居住地を形成していた。わが国ではこのような封建都市を利用しながら近代都市が発達した経緯があり、しかもその近代都市化が不徹底であったため、生活に意を配った伝統的封建都市のおもかげを濃厚に残して、トータルには生産、生活両面にわたる都市の機能がバランスよく保たれる結果となった。
今日では近代化がついに及ばず、また戦災も免れた都市が、文化的伝統とともに封建都市の町並みを残し、それが観光の対象ともなって、人々の心に安らぎを与える国民的文化財(歴史的環境)になっている。町並み保存運動はこうした都市に盛んである。環境問題を緩和させたもう一つの理由には、農村人口が全人口のなかばを超え、都市住民も社会的基盤を農村に置いたため、大部分の都市住民にとって都市は仮の生活の場となっていた事情もある。
[松田雄孝]
高度成長下での都市の変貌
日本近代化の後期1950年代からの「経済の高度成長」によって、都市は一変して、一挙に現代都市が出現するようになった。日本ではこの時代から、都市へ産業・人口が急速に集中するようになり、その後の20年間に日本は、工業先進国が19世紀から100年以上かけて経験したことを一挙に成し遂げた。この間に都市人口は75%を超え、とくに東京などの三大都市圏さらに地方基幹都市へ産業・人口が集中して流入しており、おそらく全国では4000万人が移動したと推定される。こうした激動期に、封建都市の名残(なごり)は良きにつけ悪(あ)しきにつけ、まったく払拭(ふっしょく)された。以前から細々ながら蓄積されていた都市施設は、生産機能にフルに活用され、加えて、追加的社会資本投資の70%は生産基盤整備へ重点的に配分された。都心部にある都市施設が充実した地域はしだいに業務用に占用され、住居地域は都市施設の未整備な都市の外縁へと押し出されていった。加えて、現代都市成立の基礎となった自動車交通の発達が、大気汚染、騒音、交通災害と、都市環境破壊の主役となってきた。
これによって1970年代には、大都市を中心に、それまでの都市とは比較にならない公害、住宅・宅地難、交通災害、交通通勤難、ごみ戦争のような廃棄物処理の行き詰まり、都市周辺の人口集中化に伴っての自然破壊など、さまざまな混乱が生じた。この時期、他方では水俣(みなまた)病、四日市喘息(ぜんそく)などの工場型公害と臨海工業地帯形成などの大規模自然破壊、また山林等の乱伐乱開発による全国的な国土の荒廃が同時に進行していた。
経済の膨張期には、企業の競争力を高めようと、各企業では生産設備に過大なまでの投資をしながら、直接生産量の増大につながらない排出物・廃棄物の処理については極力手抜きをし、そのまま外へ排出する傾向がある。結果として、排出されたものの処理は、地域やその住民がなんらかの犠牲を払って負担することになる。経済の高度成長期には、こうした外部負担経済化が大規模に生じた。またこうした環境問題に対する経験不足も問題を深刻にした。コンビナートのような巨大設備、あるいは高密度な工場などの事業活動が、自然の緩衝能力をはるかに上回ることを予想できなかったか、あるいは十分な予測を行うことを怠ったため、水俣、四日市などの激甚な公害となって、多くの人命や健康を奪う大惨事となった。また自然破壊、乱伐による国土の荒廃もゆるがせにできなくなった。日本の海岸のなかばを人工化してコンビナートや都市を拡大させ、さらには都市の外縁に押し出された住民の宅地難解消のために、都市の近郊が大規模に乱開発された。これらが環境悪化、災害の大きな原因になった。
[松田雄孝]
その対策
各種公害関係法の成立
産業革命発祥の地であるイギリスでは、都市環境悪化の対策が早くも19世紀から20世紀初頭にかけて始められた。各種の生活妨害を防止するため、ニューサンスnuisanceの法理を活用し、またこの法理を導入した各種制定法を立法した。また激化する工場公害に対処して行政的取締り規制であるアルカリ規制法Alcaly Act(19世紀イギリスにおいて化学工業に伴う大気汚染を防止する目的で制定された法律)などの公害防止関連法の立法も行っている。このほか公衆衛生法の制定もこの時代であり、いわば現代の公害防止、衛生対策等環境保全関連法令の原型になるようなものが、この時代に一斉に整備されていった。同様にこの時期、都市農村計画法のような都市計画による都市の環境整備、自然保護、国土保全に関する法令諸制度も、イギリスをはじめ欧米諸国で次々に整備された。
こうした市民的良識に基づく環境問題への認識は、イギリスばかりでなく、欧米工業先進国の認識としても生き続けている。その一つの現れとして現代の地球規模の環境の危機に際して、1968年、民間有識者により構成されたローマ・クラブThe Club of Romeの活動があり、分析的にまた文明論的に原因を追求し、なおかつ具体的対策を盛り込んだ宣言を数次にわたって発表している。とくに、1972年の報告書『成長の限界』では、資源の浪費と枯渇、汚染、自然破壊、生活環境の悪化などについて、事態を人類が飽くなき欲望のままに生産力を拡大する現代の風潮によるものとしてとらえ、地球総体の保全の立場から厳しい警告を発している。同じように現代の環境の危機に対して、アメリカでは、1970年に環境保護政策の憲章としてNEPA(The National Environmental Policy Act国家環境政策法)を制定し、この政策の実施機関として大統領府に環境諮問委員会が置かれた。
日本においては、実質的施策として画期的役割を果たした1969年の東京都公害防止条例制定をきっかけに、大きく盛り上がった世論に押されて1970年の「公害国会」において、公害対策基本法(環境基本法の施行に伴い1993年廃止)の根本的改正をはじめ、各公害関係法が整備された。このとき環境庁(現、環境省)が発足して、これらの実施機関となった。引き続き、1973年には自然環境保全を目的とする自然環境保全法、都市内の環境保全を目的とする都市緑地保全法が制定された。1972年、ストックホルムにおいて開催された国際連合人間環境会議では「人間環境宣言」が決議され、今後の環境のあり方についての国際的指針が示された。その趣旨は、人間環境を人間の科学技術の発達により悪化させてはならないこと、また、人間と自然が共存できるような環境の保全と改善を目ざし、人間と人間、人間と環境の調和を尊重することなどである。この宣言採択の日6月5日をアースデーEarth Day(世界環境デー)として世界的に行事を行うことになった。
[松田雄孝]
OECD報告
1978年、OECD(経済協力開発機構)が、日本における環境問題のレビューを行い、報告書が提出された。そこでは、(1)(世界的に最悪の状態にあった)工場型公害の抑止改善は実効をあげた、(2)都市型公害も改善まではいかないが抑止された、しかし、(3)都市環境とりわけ居住環境の劣悪さに対する対策が十分でないため、都市住民の環境に対する不満感が解消されていない、と指摘した。この前後には、わが国の都市居住環境の悪さの象徴として、「ウサギ小屋」論が国外から流されていた。確かに環境問題総体として現代都市をとらえるとき、住居の広さ、住居地の環境の質、通勤の距離、都市施設の質の確保など生活環境総体の質の高さを実現することが、各種公害の除去とともに重要な要求となる。
今日、大都市の住民の精神的不安定、疲労感の蓄積、とくに幼小児における肉体的・心理的異常の徴候がみられるとの報告が後を絶たないのは、こうした居住環境の劣悪さがかかわっているのではないかと推測できる。
[松田雄孝]
課題
公害問題を先駆にして、各種環境問題が次々と指摘され、いずれもその解決なしには、安全で快適な生活を送ることがむずかしくなってきた。少なくとも公害、国土破壊、居住環境悪化に対する施策とともに、食品添加物被害、薬害など現代の生活に及ぼす危険から免れ、精神的安定と健全さを保障することが求められるようになった。現在、第二の技術革新期を迎えて、高度技術が産業構造を大きく変えようとしている。これを反映して現代都市もふたたび変動を始めた。この時期、三つの方向からの環境問題に対する新たな認識が必要となってきた。
[松田雄孝]
環境問題の今後
第一に、都市型社会においては、次代の生産の担い手を都市内において育てねばならない。すでに、農村は、都市に対抗する力はもとより、都市を補完するだけの社会的力を失っているだけに、都市の健全さが社会総体の健全さを左右するようになっている。
第二に、高度技術が、知識集約的業務に携わる大量の人材を要求し、ここでの厳しい技術的条件からくるストレス解消と、創造的作業へ適応できるためには、いわば「塀の外」に良環境を用意しなければならない。塀の外とは、企業および各住居の外のことで、その都市、その地域総体としての環境、さらには文化的要求を満たすことまで含めての環境を、いやおうなしに備えねばならなくなろう。
第三に、今後の都市型社会においての基本的人権の具体的内容としては、快適な環境に置かれることが、付け加わるであろう。
いうまでもなく、環境問題は工業先進国あるいは都市内部にだけ発生し、その住民に悪影響を与えるだけではない。現在、欧米諸国において国際問題化している酸性雨のように、特定国あるいは特定工業地帯から排出される大量の大気汚染物質が、周辺諸国にまで広がって、森林・湖水を広範囲に枯死あるいは変性させて、生態系を大きく変動させている。自然保護運動が、国策の域にまでなった18世紀の自然の危機以来の問題となっている。また、化学工場の安全管理に欠陥があったため、数千人におよぶ死傷者を出したといわれるインドのボパール市の災害(1984)にみられるように、公害発生の危険性が高い工場を開発途上国に進出させて、住民の生命と周辺の環境に危険と災厄をもたらし、結果として公害を輸出し、立地国の国民感情を悪化させている実例もある。
さらに、もっとも重大な地球規模にわたる環境問題として、南米、東南アジアなどの熱帯雨林を大規模に伐採したために発生している砂漠化の進行がある。これによって地球の気象が大変動をきたすおそれが、各方面から指摘されている。太平洋など海洋の汚濁も、大規模な環境悪化の要因である。このように、工業先進国による資源の収奪、公害の広域拡大、また世界的な工業化の進展に伴う開発途上国の乱開発などにより、地球規模での環境破壊が急速に進行している。
こうした、破滅的な状況を進行させないようにするには、力の強くなりすぎた人類が、自らと人類の周辺にあるすべての自然に対して、自己抑制をしながら調和のある発展を求めねばならなくなっている。目前の欲望を貫くために、人類が自然を崩壊させようとしている時代が現に迫っているが、人間の英知とは、人類と自然との調和をみいだし自らの自制によって、自然ひいては人類が平安に生き抜くよう努力を重ねることなのである。
[松田雄孝]
『吉良龍夫著『生態学からみた自然』(1971・河出書房新社)』▽『K・W・カップ著、柴田徳衛・鈴木正俊訳『環境破壊と社会的費用』(1975・岩波書店)』▽『栗原康著『有限の生態学』(岩波新書)』▽『柴田徳衛・松田雄孝著『公害から環境問題へ』再版(1984・東海大学出版会)』▽『都留重人・庄司光・清水誠編『公害研究』季刊(岩波書店)』