ランフランコ(その他表記)Giovanni Lanfranco

改訂新版 世界大百科事典 「ランフランコ」の意味・わかりやすい解説

ランフランコ
Giovanni Lanfranco
生没年:1582-1647

盛期バロックを代表するイタリアの画家。別称ジョバンニ・ディ・ステファーノGiovanni di Stefano。パルマの近くのテレンツォで生まれる。カラッチ一族のもとで絵を学ぶ。1602年ローマに赴き,ピエトロ・ダ・コルトナグエルチーノと並ぶ画家に成長。ローマのサン・タンドレア・デラ・バーレ聖堂やナポリ大聖堂のサン・ジェンナロ礼拝堂などに天井画を残し,そのイリュージョニスティックな作品は,後世模範となる。ナポリ(1634ころ-46年滞在)では,L.ジョルダーノなどに影響を与えた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランフランコ」の意味・わかりやすい解説

ランフランコ
Lanfranco, Giovanni

[生]1582.1.26. パルマ
[没]1647.11.30. ローマ
イタリアの画家。アゴスティーノ・カラッチに師事し,パルマの大聖堂コレッジオの作品から影響を受けた。ローマのサン・アンドレア・デラ・バッレ聖堂ドーム壁画 (1621~25) は,コレッジオ風の雲に浮ぶ人物像を描いたもの。 1633~46年ナポリで活躍。同地の大聖堂のサン・ジェンナロ礼拝堂のドームの壁画 (41~46) を制作した。ドメニキーノの競争相手として知られ,その作風は南イタリア,スペインにまで及んでいる。

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世界大百科事典(旧版)内のランフランコの言及

【モデナ】より

…1860年,サルデーニャ王国に統合された。【萩原 愛一】
[美術]
 ロマネスク様式の大聖堂(サン・ジェミニアーノ)は,ロンバルディアの建築家ランフランコLanfrancoの下に1099年に起工された。献堂は1184年。…

【ボローニャ派】より

…古い大学都市ボローニャは,13世紀の写本彩飾画にさかのぼる優れた美術的伝統を有するが,普通〈ボローニャ派〉という場合には,ボローニャで学び新様式を確立してイタリア美術に主導的役割を果たした16世紀末から17世紀前半にかけての一群の画家をさすことが多い。 彼らはいずれもボローニャでカラッチ一族のアカデミア(1582設立)に学び,そのおもだった者,すなわちレーニ,アルバーニ,ランフランコドメニキーノらはアンニバレ・カラッチに倣って1600年ころローマに出,教会堂,宮殿の大規模なフレスコ装飾,宗教的・神話的主題の油彩画を手がけ,アンニバレのあとを受けてローマ画壇の主流をなした。ただし,30余年にわたりローマで活動したドメニキーノとランフランコを別とすれば,ボローニャ派のローマ滞在は短期かつ断続的である。…

※「ランフランコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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