ドメニキーノ
どめにきーの
Domenichino
(1581―1641)
イタリア初期バロックの画家、理論家。本名ドメニコ・ザンピエリ。ボローニャに生まれる。最初カルバルトDenys Calvaert(1540ころ―1619)に師事したのち、ロドビコ・カラッチのアカデミーに学ぶ。1602年、ローマに赴き、アンニバレ・カラッチの下でパラッツォ・ファルネーゼの装飾に従事。主としてローマで活躍し、主要作品に『聖ヒエロニムス』(1614年。バチカン美術館)、『ディアナの狩猟』(1617年。ローマ、ボルゲーゼ美術館)、サンタンドレア・デッラ・バッレ聖堂の壁画装飾(1624~1628)があげられる。1631年、ナポリに赴き、サン・ジェンナロ礼拝堂の壁画および祭壇画を制作、同地に没した。宗教画とともに歴史画、風景画を数多く残し、静謐(せいひつ)端正な古典主義的傾向を示す。その風景描写はプーサン(プサン)ならびに同時代の画家に影響を与え、アンニバレ・カラッチの古典主義的バロック様式を17世紀に伝える重要な役割を果たした。グイド・レーニと並ぶボローニャ折衷派の代表的画家である。
[三好 徹]
『朝日新聞社編・刊『名画の見どころ読みどころ 朝日美術鑑賞講座3――17世紀バロック絵画1』(1992)』▽『前川誠郎先生記念論集刊行会編『美の司祭と巫女 西洋美術史論叢』(1992・中央公論美術出版)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ドメニキーノ
Domenichino
生没年:1581-1641
イタリア,ボローニャ派の画家。本名ドメニコ・ツァンピエーリDomenico Zampieri。ボローニャに生まれ,ルドビコ・カラッチに師事。1602年にローマに出,アンニバレ・カラッチのもとでファルネーゼ宮殿の装飾に参加したのを皮切りに,多くのフレスコ画を手がけた。31年以後は没するまで,主としてナポリで活動。ラファエロを理想としたボローニャ派の中でもとりわけ古典主義的傾向が強いが,ローマのサンタンドレア・デラ・バーレ教会天井画(1622-28)に代表される中期以降の作品では,よりバロック的表現に接近している。油彩画にも佳作があり,とくに牧歌的情趣に富む理想的風景画においては,この分野の完成者C.ロランに少なからぬ影響を与えた。
執筆者:高橋 裕子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ドメニキーノ
Domenichino
[生]1581.10.21/28. ボローニャ
[没]1641.4.6. ナポリ
イタリアの画家。本名 Domenico Zampieri。 D.カルバールトのもとで修業したのち,L.カラッチのアカデミアに学ぶ。 1602年ローマに出て,A.カラッチの助手としてファルネーゼ宮の装飾にたずさわって以来,ボローニャ派の代表的画家となる。初期の作品はカラッチの影響を強く受けているが,15~17年ローマのサン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂に描いた連作壁画『聖チェチリア』は,ラファエロ的な明快な構成によって古典主義的傾向を示し,24~28年ローマのサン・アンドレア・デラ・バレ聖堂に描いた『4人の福音史家』や『聖アンドレアの生涯』ではバロック的傾向を示す。代表作は上記のほか,ボルゲーゼ宮の装飾壁画 (1618~19頃) ,ナポリの大聖堂内の聖ヤヌアリウス礼拝堂装飾壁画 (31~34,35~41) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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百科事典マイペディア
「ドメニキーノ」の意味・わかりやすい解説
ドメニキーノ
イタリア・バロックのボローニャ派の画家。本名ドメニコ・ツァンピエーリDomenico Zampieri。ボローニャ生れ。グイド・レーニとともにカラッチ一族の最も重要な弟子の一人で,古典的で明快な画面構成を特色とする。特に背景の風景描写にすぐれ,後のプッサンにも大きな影響を与えた。代表作はバチカン宮殿の《聖ヒエロニムスの聖体拝領》(1614年)など。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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ドメニキーノ
生年月日:1581年10月21日
イタリアの画家
1641年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のドメニキーノの言及
【ボローニャ派】より
…古い大学都市ボローニャは,13世紀の写本彩飾画にさかのぼる優れた美術的伝統を有するが,普通〈ボローニャ派〉という場合には,ボローニャで学び新様式を確立してイタリア美術に主導的役割を果たした16世紀末から17世紀前半にかけての一群の画家をさすことが多い。 彼らはいずれもボローニャでカラッチ一族のアカデミア(1582設立)に学び,そのおもだった者,すなわち[レーニ],アルバーニ,[ランフランコ],[ドメニキーノ]らはアンニバレ・カラッチに倣って1600年ころローマに出,教会堂,宮殿の大規模なフレスコ装飾,宗教的・神話的主題の油彩画を手がけ,アンニバレのあとを受けてローマ画壇の主流をなした。ただし,30余年にわたりローマで活動したドメニキーノとランフランコを別とすれば,ボローニャ派のローマ滞在は短期かつ断続的である。…
※「ドメニキーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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