カラッチ(読み)からっち(英語表記)Agostino Carracci

デジタル大辞泉 「カラッチ」の意味・読み・例文・類語

カラッチ(Carracci)

イタリアボローニャ画家一族。アンニーバレ(Annibale[1560~1609])、および兄のアゴスティーノ(Agostino[1557~1602])と従兄弟いとこのロドビコ(Lodovico[1555~1619])。16世紀末から17世紀初頭にかけて、壮麗なバロック装飾画の形成に貢献した。

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精選版 日本国語大辞典 「カラッチ」の意味・読み・例文・類語

カラッチ

  1. ( Carracci ) 一六世紀後半に活躍したイタリア、ボローニャの画家一族。祭壇画に優れる。ロドビコ(Lodovico 一五五五‐一六一九)、その従兄弟で版画に特色を示すアゴスティーノ(Agostino 一五五七‐一六〇二)、バロック絵画の端緒を開いたアンニバーレ(Annibale 一五六〇‐一六〇九)の三人により、ボローニャの美術アカデミーは創設された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラッチ」の意味・わかりやすい解説

カラッチ(Agostino Carracci)
からっち
Agostino Carracci
(1557―1602)

イタリアの画家、版画家。8月16日ボローニャの大聖堂で受洗、1602年2月23日パルマで没した。ロドビコの従兄弟(いとこ)で、アンニーバレの兄。初めデニス・カルバルトDenys Calvaert(1540ころ―1619)などのマニエリズモの画家に学び、『聖フランチェスコの聖体拝領』(1581年ころ。ロンドン・ナショナル・ギャラリー)などを制作する一方、版画家としてベネチア派画家の作品を数多く複製した。ロドビコの創設したアカデミアに参画、また弟アンニーバレと共同してボローニャのファバ宮やマニャニ宮の壁画を制作。コレッジョパルミジアニーノあるいはベネチア派の強い影響下からしだいに独自の古典主義的作風を確立し、有名な『聖ヒエロニムスの聖体拝領』(1594年ころ。ボローニャ絵画館)を残す。1597~1599年にアンニーバレに協力してローマのファルネーゼ宮の壁画装飾に従事した。1600年からはパルマ公ラヌッチョ1世Ranuccio Ⅰ Farnese(1569―1622)の委嘱でジァルディーノ宮に神話画を描いたが、死のため未完に終わった。

[篠塚二三男]


カラッチ(Annibale Carracci)
からっち
Annibale Carracci
(1560―1609)

イタリアの画家、版画家。11月3日ボローニャの大聖堂で受洗、1609年7月15日ローマで没した。ロドビコの従兄弟(いとこ)、アゴスティーノの弟であるが、カラッチ一族のなかではもっとも傑出しており、イタリア・バロック絵画の開拓者の一人となった。年代の確かな最初の作品『磔刑(たっけい)』(1583年。ボローニャ)や『キリスト洗礼』(1585年。同)などの作品にすでに、彼の特質である生き生きとした色彩と自然主義的傾向が認められる。アカデミア・ディ・インカンミナーティの創設に参画する一方、アゴスティーノに協力してボローニャのファバ宮やマニャニ宮の壁画装飾に従事した。また、ダイナミックな構図と暖かな色調の祭壇画も数多く制作。1595年、枢機卿(すうきけい)ファルネーゼOdoardo Farnese(1573―1626)の招きに応じてローマに赴き、ファルネーゼ宮のカメリーノに『ヘラクレスの物語』などの天井画を制作した(1595~1597)。続いて委嘱されたガレリアの装飾は、アゴスティーノやドメニキーノなどの協力で完成されたが、17、18世紀にはミケランジェロラファエッロの壁画に次いで優れたものとして賞賛された。病気となった1605年以後は、ほとんど制作をしなかった。

[篠塚二三男]


カラッチ(Lodovico Carracci)
からっち
Lodovico Carracci
(1555―1619)

イタリアの画家。4月21日ボローニャの大聖堂で受洗、1619年11月13日同地で没した。アゴスティーノやアンニーバレの従兄弟(いとこ)。プロスペロ・フォンタナProspero Fontana(1512ころ―1597)に学んだ。カラッチ一族の最年長者であり、美術学校アカデミア・ディ・インカンミナーティを創設(1582)するなど工房の運営や新様式の確立に指導的役割を果たした。初期の作品『聖パウロの回心』(1587)や『バルジェリーニの聖母』(1588年。ともにボローニャ絵画館)には、ティントレットやコレッジョの影響であるドラマチックな力強さと、光の効果の追求がみられる。『洗礼者ヨハネの説教』(1592年。ボローニャ)では、より柔和で洗練された賦彩がされている。1602年5月31日から6月13日までローマに滞在した。後期の作品として、ボローニャのサン・ミケーレ・イン・ボスコ修道院回廊のフレスコ装飾(1604~1605)、ピアチェンツァ大聖堂の祭壇画(1609)、『磔刑(たっけい)』(1614年。フェッラーラ)などがあげられるが、その画風は一様でない。人体研究、遠近法、明暗法などを組織的に教授した。

[篠塚二三男]

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百科事典マイペディア 「カラッチ」の意味・わかりやすい解説

カラッチ[一族]【カラッチ】

16世紀後半ボローニャで活躍したイタリアの画家一族。ラファエロミケランジェロらの様式を取捨選択した折衷主義を創始,バロック様式への道をひらいて,ボローニャ派と称された。1589年アカデミーを開設し,ドメニキーノほか多くの画家を育成。一族のうち,ルドビコLudovico Carracci〔1555-1619〕,アゴスティノAgostino Carracci〔1557-1602〕,アンニバレAnnibale Carracci〔1560-1609〕の3人が特に有名で,大規模な装飾画を得意とし,ローマのファルネーゼ宮殿のガレリア壁画(1595年―1604年)を共同制作した。
→関連項目グエルチーノブーエミニャールレーニ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カラッチ」の意味・わかりやすい解説

カラッチ
Carracci, Agostino

[生]1557.8.15. ボローニャ
[没]1602.3.22. パルマ
イタリアの画家,版画家。アンニバーレ・カラッチの兄。初期はおもに版画家として活躍。従兄 L.カラッチ,弟とともにボローニャに創設したアカデミア・デリ・インカンミナーティの理論的指導者として古代,ミケランジェロ,ラファエロに学び,また自然研究をも行なってマニエリスム様式を脱し,初期イタリア・バロック様式の成立に決定的な役割を果す。ローマのパラッツォ・ファルネーゼの装飾では弟に協力した。代表作『キリストと不義の女』。ティントレットの作品の銅版画化でも知られる。

カラッチ
Carracci, Annibale

[生]1560.11.3. ボローニャ
[没]1609.7.16. ローマ
イタリアの画家。従兄 L.カラッチに学び,兄の A.カラッチとともにパルマで活躍。その後従兄,兄とともにボローニャにアカデミア・デリ・インカンミナーティを創立した。 1595年からローマのパラッツォ・ファルネーゼにフレスコ画の大作を描きローマに新様式を移入した。ほかに『ピエタ』『聖家族のエジプトへの逃避』など。

カラッチ
Carracci, Lodovico

[生]1555.4.21. ボローニャ
[没]1619.12.13. ボローニャ
イタリアの画家。 P.フォンタナに学び,パルマ,マントバ,ベネチアなどを旅したのち,いとこのアゴスティーノ・カラッチ,アンニバーレ・カラッチと協力してアカデミア・デリ・インカンミナーティを創立し,ボローニャ派の主要な画家を輩出。2人がローマに去ったのちもその経営にたずさわった。代表作『聖家族と聖フランチェスコ』。

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