フランスの哲学者、社会学者。国立科学研究所員やパリ大学教授などを務めながらも実践的な思索家として、マルクス思想の教条的解釈を排する作業を軸にしてその弁証法論理の活性化を図る。日常生活を哲学者の反省の真なる対象として設定し、そこにおけるさまざまな疎外の具体相を告発しつつ、日常性の批判的認識および人間的「可能性」の復権としてのマルクス主義を構想する。1956年のハンガリー事件を一契機にスターリン主義批判を先鋭化させ、30年来参加していたフランス共産党から排除される。1960年代以降は「意味」の世代として構造主義を批判し続ける一方、都市空間論などにも斬新(ざんしん)な視点を提示した。主要著作に『日常生活批判』(1947、1962)、『都市革命』(1970)、『構造主義をこえて』(1971)などがある。
[安孫子誠男 2015年6月17日]
『H・ルフェーブル著、森本和夫訳『マルクス主義の現実的諸問題』(1958/新装版・1975・現代思潮社/オンデマンド版・2008・現代思潮新社)』▽『H・ルフェーブル著、白井健三郎・森本和夫訳『総和余剰、第1(哲学の危機)』新装改訂版(1970・現代思潮社/オンデマンド版・2008・現代思潮新社)』▽『ルフェーヴル著、森本和夫訳『現代世界における日常生活』(1970・現代思潮社)』▽『今井成美訳『都市革命』(1974・晶文社)』▽『西川長夫・中原新吾訳『構造主義をこえて』(1977・福村出版)』
フランスの歴史家。フランドル地方のリールに生まれる。大学卒業後各地のリセ(高等中学)で教鞭(きょうべん)をとるかたわら、フランス革命の社会経済史的研究に従事し、1924年学位論文「フランス革命期のノール県の農民」を発表した。これは、革命期の農村社会構造と農民運動に初めて本格的分析を加え、農民革命概念を確立した画期的業績である。28年ストラスブール大学教授。37年からパリ大学(ソルボンヌ)教授としてフランス革命史講座を担当。また32年マチエの死後、革命史研究の中心機関であるロベスピエール研究協会の会長に就任、その機関誌『フランス革命史年報』の編集責任者となった。この間、『フランス革命』(1930)、『恐怖政治期の土地問題』(1932)、『1789年の大恐怖』(1932)、『ナポレオン』(1935)などの著書を次々に発表、さらに39年には革命150周年祭典委員会の依頼により『1789年』を執筆した。その革命観の特色は、フランス革命を単一の革命とみるのではなく、その枠内で貴族、ブルジョア、都市民衆、農民による四つの革命がそれぞれ自律的な展開を遂げたとみる複合革命論にある。また、彼以前の研究者が議会や政府レベルの史料による「上から」の革命解釈にとどまっていたのに対して、民衆運動の側に視座を据えた「下から」の革命解釈を打ちたて、フランス革命研究の新しい段階を開いた。
[服部春彦]
『高橋幸八郎・柴田三千雄・遅塚忠躬訳『1789年――フランス革命序論』(1975・岩波書店)』
フランスの歴史家。20世紀におけるフランス革命史研究を代表する。ベルギー国境に近いリールで,商店の雇員の家に生まれ,給費生として同地の大学を出たあと,リセ(高等中学)の教師をしながら研究を続けた。ジョレスの影響を受けて,フランス革命の社会経済的基礎を明らかにするため,故郷ノール県の農業・土地問題と農民運動とに関する史料研究を20余年も続け,1924年に学位論文《フランス革命期におけるノール県の農民》を発表して学界を驚かせた。やがてストラスブール大学の,次いでパリ大学(ソルボンヌ)の教授になり,パリ大学ではフランス革命史講座担当教授として多くの後進を育てたほか,《フランス革命史年報》の編集責任者として革命史研究の中心になった。革命の社会構造の分析とともに民衆運動の分析にも力を注ぎ,その革命観は《1789年--フランス革命序論Quatre-vingt-neuf》(1939)に要約されている。ほかに《革命的群衆》(1934)などがある。
執筆者:遅塚 忠躬
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