フランスの政治家。国際社会主義運動の指導者。南フランス、タルン県のカストルに9月3日中流階級の長男として生まれ、パリのエコール・ノルマルで哲学を学んだ。アルビの高等中学校(リセ)の哲学教授(1881~1883)、トゥールーズ大学専任講師(1883~1885)ののち、1885年の総選挙でタルン県から選出され、下院では中央左派に属した。1889年の総選挙で落選し、一時大学に復帰。1892年、「感覚世界の実在について」と「ルター、カント、フィヒテ、ヘーゲルにおけるドイツ社会主義の起源」の正副2論文によって哲学博士となった。1893年の下院補欠選挙にタルン県カルモー選挙区から社会主義者として立候補し当選した。その後わずかの中断(1898~1902)を除いてその死まで下院議員を務めた。
社会主義者としての彼は、マルクス主義を評価しながらも理想主義、人道主義の役割をも重視し、革命と改良の総合を唱えたため、厳格なマルクス主義を主張するゲード、ラファルグらとしばしば論争した。彼は世紀末のドレフュス事件に際して、社会主義者も被告の人権擁護に尽力するよう主張したばかりでなく、事件の渦中の1899年に成立した共和政擁護のワルデック・ルソー内閣に社会主義者ミルランが入閣したため惹起(じゃっき)された大論争でも、階級的立場からミルランを非難するゲードらと対立した。だが、このいわゆる「ミルラン問題」で第二インターナショナルがゲードらを支持すると、その決定に服して1905年の社会党統一に参加した。この間、1904年『ユマニテ』紙を創刊し、暗殺による死までその主筆を務めた。第一次世界大戦に先だつ国際緊張の激化のなかで彼は第二インターナショナルの指導者の一人として独仏和解を訴えて平和維持の努力を傾けたが、1914年7月31日パリのカフェーで右翼狂信者の銃弾に倒れた。多くの著作を残したが、なかでも大著『フランス革命の社会主義的歴史』(1901~1908)はフランス革命の社会経済史研究に先鞭(せんべん)をつけたものとして専門家に高く評価されている。生地カストルの市庁舎内に記念館がある。
[平瀬徹也]
『木下半治著『ジャン・ジョレス――血ぬられた平和像』(1963・誠文堂新光社)』
フランスの社会主義者。フランス南部タルン県の小都市カストルに生まれる。父は中堅のブルジョア層に属したが没落し,6haの小農地で生活した。ジョレスは地元の中学校でその秀才ぶりを視学官に認められ,パリの有名校ルイ・ルグラン中学に移り,エコール・ノルマルで哲学を学ぶ。1881年アルビ中学校,さらに83年からトゥールーズ大学で哲学を講じた。85年,推されて下院議員に当選,フェリー支持の温和な共和主義者であったが,89年に落選後,トゥールーズ大学に帰り,哲学研究を通じて社会主義思想に接近していく。また労働者,とくに炭坑夫の状態改善に力を尽くした。92年,タルン県のカルモー炭鉱で,市長に当選した労働組合指導者が炭鉱主から解雇されたことを契機とする炭鉱大ストライキに際し,ジョレスは労働者と社会主義グループの支持で,この選挙区から下院に立候補し当選した。このとき,彼はマルクス主義の労働党の小農法をうたった農業綱領をかかげて闘った。こうしてジョレスは社会主義者として登場することになった。
このカルモーの地域は最後までジョレスの選挙区であったが,農村部の小農民の支持を得る必要があり,ジョレスは小農民に影響力のある急進共和派と手を結び,彼らの政治的民主主義を徹底化することで社会主義が実現しうると確信した。そして議会内での改良政策の積重ねによって平和革命が実現できるとして,独立派といわれるグループを形成した。同時に国際政治を常に広く分析し,インターナショナルでも論陣を張った。しかし1900年ころの植民地問題に対する考えは,植民地を文明化する使命を強調するものだった。戦争の危機に対して反戦平和を強く説いたが,第1次世界大戦開戦直前の1914年7月31日に,排外主義者によって暗殺された。彼の思想は,その《社会主義的フランス革命史》(1901-08)によく表れており,また1904年には《ユマニテ》紙を創刊している。
→統一社会党
執筆者:喜安 朗
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1859~1914
フランスの政治家,社会主義者。哲学教授ののち下院に入り,ドレフュス事件で被告擁護に活躍した。『ユマニテ』紙を創刊し,統一社会党結成に多大の貢献をした。理想主義的色彩が強く,ベーベルらマルクス主義者と激しい論争をしたが,その国際主義的反戦運動のため第一次世界大戦直前に一狂信的国粋主義者に暗殺された。その著『社会主義的フランス革命史』は革命の社会経済的分析の端緒をなした。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…フランス共産党の中央機関紙(日刊)。そもそもはジョレスが,分裂状態にあった社会主義者の結集をはかって,1904年4月18日に創刊した。創刊号はほぼ14万部売れ,大成功を収めたが,翌05年4月に念願の統一が実現してSFIO(Section française d’Internationale ouvrière。…
※「ジョレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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