日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルジョア」の意味・わかりやすい解説
ブルジョア(Louise Bourgeois)
ぶるじょあ
Louise Bourgeois
(1911―2010)
パリ生まれのアメリカの彫刻家。生家がタペストリーの画廊と修繕工場を営んでいたために早くからグラフィック・デザインの技能を身に付ける。その一方、家庭教師として雇われていた父の愛人から英語を学ぶなど、複雑な家庭環境のもと、両親に対して愛憎なかばした感情を抱きながら思春期を過ごす。1932年、母が亡くなったときには自殺未遂を起こした。同年、バカロレア(大学入学資格)を取得してソルボンヌ大学に入学。高校時代より熱中していた数学を専攻するが、徐々に興味を失って美術に転じることを決意、フランス国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に再入学する。結局、同校の教育にも物足りなさを覚え自らアーティストのアトリエの門を叩き、特にフェルナン・レジェから多くを学ぶ。1938年、アメリカ人美術史家ロバート・ゴールドウォーターRobert Goldwater(1907―1973)と結婚、養子を迎えたのを機にニューヨークへと渡り、美術学校アート・ステューデンツ・リーグに入学、旺盛な制作活動を開始した。
ドローイング、絵画、インスタレーションなど、特定のジャンルに縛られることのない幅広い作風を確立するが、ブルジョアの個性がもっとも強くでた表現としては、生殖器、蜘蛛などをかたどった彫刻作品が挙げられる。圧倒的な量塊感と不気味なエロティシズムを特徴とするこれらの作品には、複雑な幼少期を過ごした個人的体験や暴力の表象としての父といった彼女自身の自伝的要素が色濃く滲んでいる。またその一方で、大学で数学を学び、短期間とはいえレジェに師事したことから、作品に潜む合理性への志向やキュビスムやシュルレアリスムからの強い影響を指摘する評価もある。とりわけ、シュルレアリスムの作家のなかでもダリ、アルプ、ミロの作品とは形態的な類似が認められることから、ブルジョアの作品にも彼らと同様の生物形態主義(バイオモルフィズム。物質一般(特に肉体)は絶え間ない変化の状態にあり、それを描く可能性を追求することが芸術の使命だとする考え方)が潜んでいると解釈されることが多い。
1945年にバーサ・シェーファー・ギャラリーで初個展を開催して以来、長年堅実な活動を展開してきたが、シュルレアリスムの末尾に連なる作風は、第二次世界大戦後美術のなかでの位置づけが難しく評価が定まらなかった。1982年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開催された初の大規模な回顧展を機に、ブルジョア作品にスポットが当たり、またフェミニズムやジェンダー/セクシュアリティの視点から分析が盛んに行われた。ブルジョアは1990年代以降もホイットニー・バイエニアル(ニューヨーク)、ベネチア・ビエンナーレ、ドクメンタ(ドイツ、カッセル)などの国際展に出品するなど、精力的な活動を続けた。1997年(平成9)には日本でも横浜美術館で大規模な個展が開催された。2003年には、東京・六本木ヒルズに巨大な蜘蛛の屋外彫刻作品『ママン』が設置された。
1977年にはエール大学から芸術学名誉博士号を授与され、また1999年には世界文化賞(彫刻部門)を受賞している。
[暮沢剛巳]
『「ルイーズ・ブルジョワ」(カタログ。1997・横浜美術館)』
ブルジョア(Léon Victor Auguste Bourgeois)
ぶるじょあ
Léon Victor Auguste Bourgeois
(1851―1925)
フランスの政治家、社会哲学者。5月21日パリに生まれる。法曹界に身を置くが、のちに政治家へ転身、警視総監(1887)、マルヌ県代議士(1888)、同県上院議員(1905)を歴任。前後9回にわたり内閣閣僚に連なり、1895~1996年には急進党内閣首相となった。彼の業績のうち文相としてはジュール・フェリーの事業を受け継ぎ世俗的中等教育を確立、労働相としては社会立法の成立に貢献した。また外相としては国際紛争の調停に活躍し、ハーグ平和会議(1899、1907)代表、国際連盟終身代表などを務め、1920年ノーベル平和賞を授与された。彼は社会連帯主義を唱え、個人と公共性が連帯によって媒介、統一されるとした。
[瓜生洋一]
『『レオン・ブルジョワ氏論文集』(1926・国際聯盟協會)』▽『シャルル・ジッド、レオン・ブルジョア著『社会連帯責任主義』(1932・日本評論社)』