ルーゲ(その他表記)Ruge, Arnold

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルーゲ」の意味・わかりやすい解説

ルーゲ
Ruge, Arnold

[生]1803.9.13. ベルゲン
[没]1888.12.31. ブライトン
ドイツの思想家,ジャーナリスト。ハレ大学講師となり (1832) ,『ハレ年誌』 Hallische Jahrbücher für deutsche Wissenschaft und Kunstなど,ヘーゲル左派の機関誌ともいうべき雑誌をたびたび刊行したが,プロシア政府の弾圧によりパリに亡命 (43) 。そこでマルクスと知合い,共同で『独仏年誌』 Deutsch-französische Jahrbücherを発行 (44) したが,まもなくマルクスと決裂し,帰国。 1848年革命に際して共和主義者としてフランクフルト国民議会で活躍,雑誌『改革』 Die Reformを発行。革命敗北後ロンドンへ亡命,G.マッツィーニとともにヨーロッパ民主主義委員会を組織し,50年以後教職のかたわら文筆活動を続けたが,晩年は国家主義に転じ,ビスマルク支持した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルーゲ」の意味・わかりやすい解説

ルーゲ
るーげ
Arnold Ruge
(1802―1880)

ドイツの社会思想家、ジャーナリスト。1832~1841年ハレ大学講師となり、青年ヘーゲル派の一機関誌『ハレ年誌』を編集。この雑誌の弾圧後、1844年パリでマルクスとともに『独仏年誌』を発刊した。しかし、マルクスの共産主義的立場への移行に伴い、ブルジョア的急進民主主義者としてマルクスから離れ三月革命(1848)期にはフランクフルト国民議会の最左翼議員として活躍。他方で新聞『レフォルム(改革)』を編集、発行して民主主義のため論陣を張った。1850年以降イギリスに渡り、1866年『ドイツ国民へ』と題する文書でビスマルクのドイツ統一政策への支持を表明した。

末川 清]

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改訂新版 世界大百科事典 「ルーゲ」の意味・わかりやすい解説

ルーゲ
Arnold Ruge
生没年:1802-80

〈若きヘーゲル派〉の政治理論家。北ドイツのリューゲン島に生まれる。学生運動に参加し,逮捕投獄されたが,のちハレ大学私講師となり,また《ハレ年誌》(1838-43)を刊行して,ヘーゲル国家論やプロイセン絶対主義を批判した。1844年パリでマルクスとともに《独仏年誌》を刊行。48年革命期にはフランクフルトとベルリンで民主主義派の代表として活躍し,革命敗北後イギリスに亡命した。晩年はビスマルクの政策を支持した。
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世界大百科事典(旧版)内のルーゲの言及

【ヘーゲル学派】より

…彼は一躍,左派を代弁する危険人物となり,その周りにはマルクスなど,若手の急進主義者が群がった。エヒターマイヤーE.T.Echtermeyerとルーゲの編集する《ハレ年誌》には,シュトラウス,L.A.フォイエルバハ,バウアーが結集した。彼らは青年ヘーゲル学派とも呼ばれ,ヘーゲルの内在的批判を通じて,現実的人間を中心とする世界観を築いていった。…

※「ルーゲ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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