ノルウェー南西部にあり、首都オスロに次ぐ同国第二の都市。人口23万3892(2002)。ビーフィヨルドの湾奥に位置する港湾都市で、西側沿岸はスケアゴードSkjægård島によって外海から保護されている。また市街地は標高700メートル以下の七つの丘で囲まれている。大西洋からの湿った空気が東側に控える標高1700~1900メートルのハルダンゲル高原にあたるため雨が多く、年降水量は2006ミリメートル、1980年の降雨日数は201日に達した。1070年ノルウェー王オーラフ・キーレOlaf Kyrre(在位1066~93)によって創建され、1350年ハンザ同盟に加わった。その後200年以上にわたってノルウェー西海岸の貿易を支配し、海運と結び付いた金融の中心地として発展した。1909年にオスロとの間に鉄道が完成するまでは、背後に広がるハルダンゲル高原の存在により内陸との交通が遮られ、国内各地よりもイギリスとの海外交易に人々の関心が向けられていた。1840年代にイギリスから紡績工場が導入され、これを契機に産業が発展した。今日ではノルウェー南西部の諸都市を結ぶ商業中心地であるとともに、造船、機械、食品、繊維など多方面にわたる工業が発達する。また港は水産物、鉄鋼などを輸出し、食品、羊毛、綿花などを輸入して、オスロと並ぶ重要な貿易港となっている。
市街地は港を中心に発達し、港の奥には魚市場があり、前の広場には魚や花の露店が並び、多くの買い物客でにぎわう。港の北側、海岸沿いのブリゲン(ブリッゲン)通りには急傾斜の切妻屋根をもった木造の倉庫が並び、中世に繁栄したハンザ同盟時代の港のおもかげを残している。この地区は1979年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。港の南側は沿岸各地やフィヨルドの奥地へ向かう船の波止場となっている。市の北部には標高320メートルのフレーイエン山があり、港の東からケーブルカーが通じる。山頂からは市街、港、遠くの島々、背後の山並みが一望できる。市はノルウェー西部地域の教育・文化の中心地ともなっており、博物館、美術館、ベルゲン大学がある。また作曲家グリークや劇作家ホルベアなど、多くの文化人も輩出した。
[竹内清文]
ノルウェー南西部,北海に面する港湾都市で,人口24万0684(2005)。地理的な位置と港湾に好適な地勢のゆえに古くからイギリス,ドイツと密接な関係をもつ貿易都市であった。14世紀に首都がオスロに移されるまでノルウェー王国の首都であった。今日なおノルウェー第2の都市として重きをなし,商工業,とくに造船業の中心地となっている。
1070年にノルウェー王オーラブ3世によって建設され,バイキング時代の交易の中心地として発展した。歴史上ベルゲンを名高くしているのは,中世を通じここにハンザ同盟の商館が置かれていたことである。ベルゲンのハンザ商館は〈ドイツ人の橋〉と呼ばれ,ノルウェー国王から正式に認められたのは14世紀中ごろのことである。早くから主としてリューベック出身のドイツ人商工業者が集団で居住し,ハンザ貿易の重要な一翼を担っていた。外地にあるハンザ商館の中でも重要ないわゆる四大商館(ロンドン,ブリュージュ,ノブゴロドおよびベルゲン)の一つで,しかも駐在員の人数は四つの中で最も多かった。商人のみならず手工業者も住みついていたことは他の商館にはない特色である。ハンザ時代を通じてベルゲンは,農業生産の乏しいノルウェーへの穀物輸入港として,ノルウェーの死命を制する位置にあり,それだけにハンザ商人のノルウェーに対する経済的支配力は強大であった。近世以降ノルウェー王権の伸張に伴い,ハンザ商館の特権にも制約が加えられ,ハンザ所有の建物の多くもベルゲン市有に帰した。
執筆者:高橋 理
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