日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルール地方」の意味・わかりやすい解説
ルール地方
るーるちほう
Ruhrgebiet
ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州のルール炭田に発達した重化学工業地帯。この地方の市町村は、地域計画を目的とするルール地方都市連合を結成しており、統計的数値は通常その範囲についてあげられる。面積4432平方キロメートル、人口約550万。ライン・ルール都市圏人口は約1050万。
ライン川に沿う南北方向と中位山地北縁に沿う東西方向の天然の大交通路線の交差点に位置し、交通条件に恵まれているが、発展の基礎をなしたのは石炭層である。石炭層は南から北に傾斜し、石炭はかつては南部で小規模に採掘されていたにすぎないが、1837年にエッセンで立坑の掘削が成功して以来、炭田は北・西・東方に拡大し、現在もっとも深い立坑は1400メートルに達する。しかし石油とアメリカ炭に押され、1956年の1億2500万トン(従業員48万人)を頂点として、1980年には6910万トン(従業員14万0536人)に減じた。石炭は主としてコークス製造、発電、化学工業に用いられる。
鉄鋼業はおもにスウェーデン産の鉄鉱石に依存し、約3分の2がライン川沿岸に、一部がドルトムント・エムス運河の終点ドルトムントに集中している。化学工業はガス炭を多く産する北部の諸都市、とくにマルルMarl(人口9万3300、2000)が中心である。鉄鋼の加工や機械工業はほぼ全域に分布する。管理中枢機能、金融業、商業はエッセンとドルトムント、あるいは南西方に離れたデュッセルドルフに集中している。
第一次世界大戦後の1923年、敗戦ドイツの賠償遅滞を理由にフランスとベルギーがルール地方を占領した。さらに第二次世界大戦後、フランスはこの地方の国際管理を提案し、49年アメリカ、イギリス、フランスとベネルックス三国による国際管理下に置かれたが、52年のヨーロッパ石炭鉄鋼共同体の発足に伴い国際機関は廃止された。
[齋藤光格]