日本大百科全書(ニッポニカ) 「エッセン」の意味・わかりやすい解説
エッセン
えっせん
Essen
ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州にあるルール工業地帯の中心都市。人口59万5200(2000)。東西に長いルール地方の中央部に位置し、ルール地方の政治、経済、文化の中心をなすとともに、鉄鋼、機械を主とするドイツ有数の工業都市でもある。1960年代までは炭鉱都市としても知られたが、炭鉱の斜陽化に伴って人口も67年の70万9000人から減少し、金融、保険、業務などの管理中枢機能、高次の小売商業機能、会議、音楽、演劇などの文化機能が強まっている。また、ルール地方市町村連合、エムシャー川組合、ルール川ダム協会など広域的な団体の本部もここにある。
カロリング朝時代に東西の幹道ヘルベーク沿いに設けられた城塞(じょうさい)に始まり、852年女子修道院がつくられてこれを中心に発達、1000年ごろに商人町が成立したが、本格的に発展したのは19世紀前半の炭鉱開発以後である。すなわち、1811年F・クルップが鋳鋼工場をこの地に建ててクルップ商会を設立、鉄鋼、石炭を基盤に成長し、1840年代から兵器生産を始めて巨利を博し、ドイツ産業界に君臨した。そのため市はクルップ財閥の根拠地として、石炭、重工業の都市となり、著しい発展を遂げた。第二次世界大戦では甚大な被害を受けたが、りっぱに復興している。
中心部をなす旧市街は市場教会(1058創設、1952再建)と市場広場を核に、往時の平面形を残したまま復興整備され、市場広場から放射するリンベッカー通りとケトウィガー通りが中心商店街をなす。旧市街に南接して駅があり、鉄道および国道1号(ルール高速道路)が東西に走る。南部は住宅地で、クルップの旧邸宅ビラ・ヒューゲル、市立公園、ルール地方博物館、公会堂などがある。クルップが労働者のために建設した田園都市マルガレーテンヘーエもいまに残る。北部は鉱工業地域で、ライン・ヘルネ運河沿いに河港がある。
[小林 博]