ドイツ西部,ノルトライン・ウェストファーレン州の都市。ルール地域最大の都市で,人口59万9515(1999)。9世紀に設立された女子修道院領から始まり,13世紀に都市権を獲得,15世紀にはハンザ同盟にも加盟した。宗教改革の結果ルター派が優勢となり,以後修道院と市民層との対立が市史を貫いていた。15世紀以降毛織業,亜麻織業,銃器製造業が発展。1802年隣接のウェルデン大修道院領とともにプロイセンに併合された。08年F.ディネンダールが蒸気機械製造工場を,11年にはクルップFriedrich Kruppが鋳鋼工場を設立した。40年代の立坑採炭開始とルール港建設を契機にして,石炭鉱業が急激な発展を開始し,鉄鋼業,機械製造業,化学工業も勃興したが,その重工業化の過程で,クルップ社の果たした役割はとりわけ大きい。第2次大戦による破壊と1960年代の石炭鉱業の構造不況のため,市経済の重心は商業,金融,保険,行政に移りつつある。フリードリヒ・クルップ,ライン・ウェストファーレン電力,ルールガス,ルール炭鉱,ライン製鋼等巨大企業の本社が集中している。1957年にルール地域を包摂するエッセン司教区が創設され,司教座都市となった。
執筆者:渡辺 尚
エッセン大聖堂にある《黄金の聖母》は,聖母子像としては現存最古のもの。1000年ころケルンで制作されたものと推定される。聖性を示す黄金の薄板が木身にかぶせられ,エマイユを使った大きな眼をもつ聖母子像は呪物めいて見えるが,おそらく聖遺物箱ででもあったと思われる。
執筆者:越 宏一
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ドイツ西部、ノルトライン・ウェストファーレン州にあるルール工業地帯の中心都市。人口59万5200(2000)。東西に長いルール地方の中央部に位置し、ルール地方の政治、経済、文化の中心をなすとともに、鉄鋼、機械を主とするドイツ有数の工業都市でもある。1960年代までは炭鉱都市としても知られたが、炭鉱の斜陽化に伴って人口も67年の70万9000人から減少し、金融、保険、業務などの管理中枢機能、高次の小売商業機能、会議、音楽、演劇などの文化機能が強まっている。また、ルール地方市町村連合、エムシャー川組合、ルール川ダム協会など広域的な団体の本部もここにある。
カロリング朝時代に東西の幹道ヘルベーク沿いに設けられた城塞(じょうさい)に始まり、852年女子修道院がつくられてこれを中心に発達、1000年ごろに商人町が成立したが、本格的に発展したのは19世紀前半の炭鉱開発以後である。すなわち、1811年F・クルップが鋳鋼工場をこの地に建ててクルップ商会を設立、鉄鋼、石炭を基盤に成長し、1840年代から兵器生産を始めて巨利を博し、ドイツ産業界に君臨した。そのため市はクルップ財閥の根拠地として、石炭、重工業の都市となり、著しい発展を遂げた。第二次世界大戦では甚大な被害を受けたが、りっぱに復興している。
中心部をなす旧市街は市場教会(1058創設、1952再建)と市場広場を核に、往時の平面形を残したまま復興整備され、市場広場から放射するリンベッカー通りとケトウィガー通りが中心商店街をなす。旧市街に南接して駅があり、鉄道および国道1号(ルール高速道路)が東西に走る。南部は住宅地で、クルップの旧邸宅ビラ・ヒューゲル、市立公園、ルール地方博物館、公会堂などがある。クルップが労働者のために建設した田園都市マルガレーテンヘーエもいまに残る。北部は鉱工業地域で、ライン・ヘルネ運河沿いに河港がある。
[小林 博]
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