略称ECSC。石炭・鉄鋼についての共同市場と共同管理を実現するために設立されたヨーロッパの地域的経済統合機構。2002年7月に消滅。
1950年5月9日、フランスのシューマン外相は、フランスとドイツの伝統的対立を解消するため、両国の石炭・鉄鋼の全生産を共同機関のもとに置くこと、また他のヨーロッパ諸国の参加を歓迎する旨の提案を行った。これがいわゆるシューマン・プランとよばれるものである。イギリスや北欧諸国はこの提案に消極的であったが、フランス、西ドイツのほか、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクが参加することとなり、1951年4月18日、パリにおいて、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体創設条約(パリ条約)が調印され、翌1952年7月25日に発効した。本部は当初ルクセンブルクに置かれたが、1967年にブリュッセルに移された。
ECSCは、加盟国間における石炭と鉄鋼の移動に関する関税その他の貿易上の制限の撤廃、生産費と価格の管理、石炭および鉄鋼業の拡張と近代化の達成などを目的としていた。1953年2月には石炭、鉄鉱石、屑鉄(くずてつ)の共同市場、同年5月には鉄鋼の共同市場、1954年8月には特殊鋼の共同市場が発足し、また、域内関税も1958年3月までに全廃され、ECSC設立後、加盟国の石炭および鉄鋼業は急速に発展した。
このECSCの成功がヨーロッパの経済統合に弾みをつけ、1957年にはECSC加盟6か国によってローマ条約が調印され、翌1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM(ユーラトム))が設立された。ECSCの主要機関としては、超国家的性格を有する最高機関のほかに、理事会、総会、司法裁判所の四つが設けられていたが、EEC、EURATOMの発足とともに、総会と司法裁判所はこれら3共同体に共通の機関とされた。さらに1967年には、理事会のほか、最高機関も委員会という名称で3共同体共通の機関として統一されることとなり、それとともに3共同体はヨーロッパ共同体(EC)と総称されることとなった。このように、ECSCはECの成立を先導した機構であるといえる。1993年マーストリヒト条約が発効し、ECはさらに政治的統合を目ざすEU(ヨーロッパ連合)に発展した。
2002年にパリ条約が失効し、ECSCは消滅した。活動内容はEUに引き継がれている。
[横川 新]
1951年にフランス,西ドイツ,イタリア,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの6ヵ国の間の条約によって成立した,石炭と鉄鋼の生産と取引についての国際管理機関。発足は52年。ECSCと略称する。当時のフランス外相R.シューマンが提唱者であったため,〈シューマン・プラン〉の名でも呼ばれる。ECSCのおもな機能は二つある。一つは,石炭,コークス,鉄鉱石,鉄鋼について,6ヵ国が互いに市場を開放して各国の企業が自由にかつ対等の条件で競争できる共同市場を実現し維持すること,もう一つは,それらの財の需給にアンバランスが生じた場合に市場調整機能を果たすことである。前者のために,加盟国は互いに上記4品目に対する関税,数量制限などの貿易制限を撤廃するほか,二重価格制,差別運賃などの差別待遇,補助金,賦課金などの各国政府の産業への介入,カルテルなどの私的独占行為も禁止された。市場調整機能は従来は私的カルテルや各国政府によって行われてきたが,ECSCのもとではその執行機関である委員会が超国家的権限を与えられ,6ヵ国共通の利益を基準として,供給過剰の際には各企業に生産割当てと最低価格を指示し,供給不足の際には分配割当てと最高価格を設定することになった。ECSCの設立は,競争原理に立脚した拡大された市場をつくりだして,合理化,技術革新を促進し,大規模生産の利益を実現し,当時の基幹産業であった石炭・鉄鋼産業の発展をはかるという,経済的目的をもっていたが,同時に政治的にも,フランスと西ドイツの間の基幹産業をめぐる経済的対立がふたたび軍事的対立に進むのを防ぐことも目的としていた。設立後,加盟国の石炭・鉄鋼産業は急速に発展し,これらの目的は実現された。この成功が刺激となって,経済統合はさらに石炭,鉄鋼以外のすべての分野に進むことになり,1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)が成立する。この意味でECSCは,ヨーロッパの経済統合の出発点になっている。
→ヨーロッパ共同体
執筆者:川鍋 襄
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1950年5月フランス外相シューマンの発表した,独仏両国の石炭,鉄鋼をプールするという構想(シューマン・プラン)にもとづいて計画された。独仏2国にベルギー,オランダ,ルクセンブルク,イタリアの4カ国が加わって,52年夏発足した。石炭,鉄鋼部門でのほとんど完全な統合であるこの共同体は,生産・雇用の増大,生活水準の向上,労働条件の改善,価格決定の合理化,通商上の差別待遇の撤廃に努力することになっており,国境をこえる単一市場の設置と,運営の手段として超国家機関を利用した最初の試みである。EU成立とともにその傘下に入った。
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…世界経済に大きな影響をもつ関税同盟が発足するのは,第2次大戦後である。1952年には,フランス,西ドイツ,イタリア,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの6ヵ国によって,ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され,58年までにはECSC内の鉄鋼関税は撤廃され対外関税の調整も完了する。それよりも以前の1948年に,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの3国によって結成された〈ベネルクス関税同盟〉は,58年には〈ベネルクス経済同盟〉に発展していった。…
…モネは,連合国によるドイツ占領終了後にドイツ,フランス間紛争の一因となると懸念されていた,ライン地方の炭田および鉄鋼業の管理権の帰属につき,これを独立したヨーロッパの超国家的機関にゆだねることを提案した。この提案はドイツ,フランス,イタリアおよびベネルクス三国に受けいれられ,結局,これら6ヵ国地域内の石炭・鉄鋼の管理を行うヨーロッパ石炭鉄鋼共同体ECSCが1952年に設立された。モネは当初このような超国家的機関が徐々に機能を拡大し,また加盟国も増やすことによって,究極的には連邦主義者のめざしていたような〈ヨーロッパ連邦〉が成立することを期待していた。…
…西ドイツ,イタリアなどの敗戦国では,設備の破壊・撤去がなされていたが,1948年以来,マーシャル・プランによりアメリカの新鋭設備が導入され,設備の近代化・更新が進んだ。そして,1952年には,西ドイツ,フランス,イタリア,ベルギー,オランダ,ルクセンブルクの6ヵ国によりヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が結成され,鉄鉱石,鉄屑,石炭,鉄鋼の域内関税が廃止され,広大な共同市場が開設された。そのもとで,各国の鉄鋼業はそれぞれの形態で集中を進めた。…
…ヨーロッパにおける三つの超国家的な地域統合機構であるヨーロッパ経済共同体(EEC),ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC),およびユーラトム(ヨーロッパ原子力共同体EURATOM)の総称。ECと略称するが,1992年のマーストリヒト条約によって誕生したヨーロッパ連合(EU)の一部となった。…
※「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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