レイモンド(英語表記)Raymond, Antonin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「レイモンド」の解説

レイモンド
Raymond, Antonin

[生]1888.5.10. オーストリア=ハンガリー帝国,クラドノ
[没]1976.10.25. アメリカ合衆国,ペンシルバニア,ラングホーン
チェコ生まれのアメリカ合衆国の建築家。プラハ工科大学で学んだのち,1910年に渡米。1916年フランク・ロイド・ライトに師事し,のちにニューヨークで独立するがふるわず,1919年東京の帝国ホテル建設のためライトの助手として来日。ライトの帰国後,1921年東京に建築事務所を開く。東京女子大学(1924~38),聖路加国際病院(1932)などを設計。1938年アメリカに戻り,ペンシルバニア州ニューホープに農場とスタジオを開く。第2次世界大戦後の 1948年,東京に再び事務所を開設し,リーダーズ・ダイジェスト東京支社(1951)をはじめ,アメリカ大使館アパート(1952~53),群馬音楽センター(1961),南山大学(1962~64)など住居や教育施設を数多く手がけ,日本近代建築の父と称された。1973年離日。1952,1965年日本建築学会賞受賞。1964年勲三等旭日中綬章受章。門下から前川國男吉村順三らが輩出した。インテリアデザイナーである妻ノエミとの協同作業も多い。

レイモンド
Raymond, Henry Jarvis

[生]1820.1.24. ニューヨーク,ライマ近郊
[没]1869.6.18. ニューヨーク
アメリカのジャーナリスト,政治家。 H.グリーリーのもとで週刊誌『ニューヨーカー』 (1840) ,日刊紙『ニューヨーク・トリビューン』 (1841~48) の編集に従事。 1851年,資金不足から遅延していた『デーリー・タイムズ』 (1857年『ニューヨーク・タイムズ』と改題) を刊行した。 H.グリーリーの有能な社員であったが,ニ人は気質的に合わず,政敵となった。ホイッグ党のニューヨーク副知事に指名され,1854年当選。 1856年2月,ピッツバーグにおける新生共和党大会の開催に際しては「人民への請願」として知られる党綱領を執筆,1864年には A.リンカーン大統領の政治綱領発表の大半を準備し,この年以降 1866年まで共和党全国委員会委員長,1865~67年下院議員をつとめた。

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デジタル大辞泉プラス「レイモンド」の解説

レイモンド

《Raymond》MLBに加盟するプロ野球チーム、タンパベイ・レイズのチーム・マスコット。青いアザラシ。

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