イギリスのロック歌手、ギター奏者、作曲家。リバプール生まれ。港湾都市であるリバプールには新しいものを好む気風があり、彼はリズム・アンド・ブルースに興味をもち、地元のクォリー・バンク高校時代に友人たちとクォリーメンThe Quarry Menを結成。やがてポール・マッカートニーPaul McCartney(1942― )、ジョージ・ハリソンGeorge Harrison(1943―2001)らが加入する。いくつかのグループ名を経て、1960年にビートルズと称する。62年にレノン、マッカートニー、ハリソン、リンゴ・スターRingo Starr(1940― )の4人組となり、同年秋にデビュー・シングル『ラブ・ミー・ドゥ』を発売し、初のヒットとなる。64年、アメリカで『抱きしめたい』などが大ヒットして、世界的なビートルズ・ブームが始まる。
ジョンは1962年にシンシア・パウエルと結婚したが(翌年息子ジュリアン誕生)、66年に前衛芸術家のヨーコ・オノ(小野洋子、1933― )と出会い、68年シンシアと離婚後、翌69年に洋子と再婚した。夫妻はベトナム反戦運動に共鳴し平和キャンペーンを始める。70年ビートルズ解散。夫妻は71年ニューヨークに移住。そこでジョンは愛と平和を訴える歌曲を次々と書いた。71年のヒット『イマジン』はその代表作である。75年、自身の音楽的原点に立ち戻ったアルバム『ロックン・ロール』の発表を最後に活動を休止する。新しい目標を求めてのことであろう。80年に意欲と活力に満ちて活動再開。だが『スターティング・オーバー』がヒットするなかの80年12月8日、錯乱したファンに射殺される。リアルな詞と美しいメロディを好んだジョンの音楽は、いまなお多くの人々に愛され続けている。日本では2000年(平成12)、ジョンの誕生日である10月9日に世界初の「ジョン・レノン・ミュージアム」(埼玉県さいたま市中央区)が開館した。
[青木 啓]
『ジェフリー・ジュリアーノ、ブレンダ・ジュリアーノ編著、島田陽子訳、広田寛治監修『ロスト・レノン・インタビュー』全2巻(1997・プロデュース・センター出版局)』▽『マイケル・ホワイト著、乾侑美子訳『ジョン・レノン』(1999・偕成社)』▽『ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ヤーン・ウェナー著、片岡義男訳『レノン・リメンバーズ』(2001・草思社)』
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イギリスのポピュラー音楽家。リバプールに生まれ,美術学校に学ぶ。ビートルズの中心的メンバーとして活躍する一方,画才にも恵まれ,ノンセンス文学の佳品たる挿絵入り短編集2冊(《In His Own Write》1964,《A Spaniard in the Works》1965)を残している。1966年に知り合った小野洋子と69年に再婚,同年アムステルダムのホテルで平和運動として7日間の〈ベッドイン〉を行うなど,多くの話題をまき,20世紀後半のサブカルチャーの英雄の観があったが,80年ニューヨークで凶弾にたおれた。
執筆者:高橋 康也
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