出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
イギリス最大の建築家。ウィルトシャー州イースト・ノイルに,英国国教会の聖職者の子として生まれた。国教会と王党派の精神の中で育ち,オックスフォードに学び数学と自然科学に才能を示した。1653年に卒業し,57年にはロンドンのグレシャム・カレッジの天文学教授となる。60年に王政復古が成り,翌年建設総監の補佐に任ぜられた。65年に処女作ケンブリッジ大学ペンブローク・カレッジ礼拝堂を完成させ,この年パリに赴く。ここでフランス古典主義建築にふれ,ルーブル宮殿設計に関与していたG.L.ベルニーニにも会うが,本質的な影響は受けなかった。帰国後,66年のロンドン大火に際会したことが彼の建築家としての運命を決定づけた。ただちに彼は全罹災地域をバロック的な都市計画で再建する案をまとめたが,この計画は地主の反対にあい実現されなかった。その後,以前からあったセント・ポール大聖堂補修計画が全面再建計画として浮上し,68年8月,彼はその設計を命ぜられた。翌年に建設総監となり,大火で被災したロンドン中心部(シティ)の51の教区教会堂の再建の責任も負うこととなった。セント・ポール大聖堂は,数種の設計案を経てラテン十字形の平面計画により1675年着工,1710年に完成。巨大な大聖堂を一人の建築家がすべて設計した稀有な例となった。シティの教区教会堂は,変化に富む尖塔をもつものが多く,ロンドンにバロックの彩りをもたらした。このほか,トム・タワー(1682,オックスフォード)ではゴシック様式を試みたが,トリニティ・カレッジ図書室(1684,ケンブリッジ),グリニジ・ホスピタル(1702),ハンプトン・コート中庭(1694)等の作品により,イギリス建築に抑制の効いたバロック建築の要素をもたらし,後世イギリス建築の範と謳われた。没後,回想録《パーレンタリア》(1750)が出版された。
執筆者:鈴木 博之
ドイツの作家。本名アルノルト・ビート・フォン・ゴルセナウArnold Viet von Gollsenau。貴族の出身。1910年ドレスデンで第1近衛師団に入隊,第1次大戦には将校として西部戦線へ。20年以降ゲッティンゲンほかで法学,ウィーンで美術史などを学ぶ。その間にドイツ,イタリア,エジプト,トルコなどに徒歩旅行。28年共産党に入党し,プロレタリア革命作家同盟結成時より書記長をつとめた。《戦争》(1925脱稿,28刊)は主人公に一兵士を選び,その眼で即物的に戦争を描き,続編《戦後》(1930)では主人公がカップ一揆のなかで軍隊に疑問を抱く過程をたどる。感傷を排した事実重視の描写が特徴である。33年投獄,35年釈放後スイスに逃れ,スペイン市民戦争では国際旅団を指揮,その体験は《スペイン戦争》(1952)に結実した。39-47年メキシコに亡命。ゼーガースらと〈自由ドイツ運動〉を行うかたわら,自伝的小説《没落する貴族》(1944)を著す。47年帰国し,東ドイツで活躍。児童文学でインディアンを主人公とした《トリーニ》(1954),《黒人ノービ》(1955)も有名である。
執筆者:長橋 芙美子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリスの科学者、建築家。ウィルトシャーのイースト・ノイルに高教会派の司祭の息子として生まれ、幼時から自然科学に才能を示した。1657年にはロンドンで、60年にはオックスフォードで天文学の教授を務め、ロイヤル・ソサイエティーの創立メンバーの一人でもあった。ケンブリッジのペンブローク・カレッジ礼拝堂の設計(1663)から本格的に建築に取り組み、65~66年をパリでフランス古典主義建築の研究に費やす。ベルニーニにも会っている。66年9月ロンドンをみまった大火が彼に大きな機会を与えることになった。彼の提案したバロック的なロンドン再建都市計画こそ実現しなかったものの、建築総監としてセント・ポール大聖堂の再建(1675~1710)や51の教区教会堂の再建(1670~86)に腕を振るい、ケンブリッジのトリニティ・カレッジの図書館(1676~84)やグリニジ・ホスピタル(1702)など数多くの建築を設計建造した。バロック的な要素を巧みに取り入れた彼の雄勁(ゆうけい)な古典主義建築は、範として長く後代の建築家に慕われた。
[谷田博行]
ドイツの小説家。ドレスデンの貴族出身。第一次世界大戦従軍日記を基に報告文学『戦争』(1928)を書き、39か国語に翻訳される。さらに戦後の革命体験に基づき『戦後』(1930)を発表。1927年共産党に入党、左翼雑誌『リンクス・クルベ』編集長、プロレタリア・革命作家同盟書記を経て、32年から35年まで投獄される。スイスへ脱出後『大いなる遍歴の前に』(1935)を書く。スペイン内乱で人民戦線側に参戦後、メキシコで反ナチ運動を指導。戦後帰国し、『スペイン戦争』(1955)などの作品を発表した。
[酒井 府]
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1632~1723
イギリスの建築家。オクスフォード大学に学び,ロイヤル・ソサエティの設立に参加。天文学から建築に転じ,1666年のロンドン大火のあと,チャールズ2世から再建のための総監督に任命され,教会や公共建築物の再建に取り組んだ。代表作はセント・ポール大聖堂など。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…都市においても,大災害が都市改良の契機となることがある。レンChristopher Wrenらが作成した1666年ロンドン大火復興計画案は拒絶されたとはいえ,建築物の不燃化と形態規制,道路の幅員14フィート以上への拡幅と舗装は実現し,レン設計のセント・ポール大聖堂のドームと多数の尖塔がロンドンの面目を一新した。1923年関東大震災後の東京復興においても,焦土全面買上げによる新都の造営という当初の計画は放棄されたが,焼失した既成市街地において3000haをこえる土地区画整理が実施され,隅田川の新橋梁,昭和通り等が新たな都市像を現出させた。…
…18世紀前半に,イギリス有数のパトロンで同時に建築家でもあったバーリントン伯が出るに及んで,パラディオ風の古典様式はイギリスに完全に根を下ろした。1666年のロンドン大火は,ジョーンズの晩年に生まれたC.レンの才能を発揮するうえでの大きなチャンスとなり,このとき新築されたセント・ポール大聖堂は彼の代表作となった。レンをはじめ,彼の弟子のN.ホークスムア,J.バンブラーなどはバロック的な装飾性も見せるが,フランスやドイツのそれに比べると古典主義的色彩が強い。…
…クイーンズ学寮第二中庭には,煉瓦造のアーケードに支えられた木骨白壁の学監舎(1540)があり,セント・ジョンズ学寮では,中世城塞風の門楼棟(1520)や,ハンマー・ビーム天井をもつホール(1516)が注目される。ペンブローク学寮の礼拝堂(1663)はC.レンの最初の建築作品である。学寮共用の施設としては,1722年J.ギブズ設計になる古典主義様式の大学評議員会館のほか,ベースビーGeorge BaseviとC.R.コッカレルによるコリント式列柱正面をもつ古典主義様式のフィッツウィリアム博物館(1837‐47)などが優れる。…
…都市においても,大災害が都市改良の契機となることがある。レンChristopher Wrenらが作成した1666年ロンドン大火復興計画案は拒絶されたとはいえ,建築物の不燃化と形態規制,道路の幅員14フィート以上への拡幅と舗装は実現し,レン設計のセント・ポール大聖堂のドームと多数の尖塔がロンドンの面目を一新した。1923年関東大震災後の東京復興においても,焦土全面買上げによる新都の造営という当初の計画は放棄されたが,焼失した既成市街地において3000haをこえる土地区画整理が実施され,隅田川の新橋梁,昭和通り等が新たな都市像を現出させた。…
…ロンドンの中心に建つ英国国教会の司教座教会。現在の建物は1675‐1710年にC.レンによって建てられたもの。604年に現在の地に司教座教会が創設されたが,1087年火災に遭い焼失。…
…彼らは,古典主義と対立し,かつこれと並ぶ第二の美の様態があることを主張し,バロックにルネサンスまたは古典主義と同等の価値を与えた。また,フランスでは,18世紀のルソーにすでにその思想の萌芽があり,ロマン派の支持者であったボードレールはルーベンスやレンブラントを称揚し反アカデミズムの美学を盛り上げた。さらには,なににもまして,印象主義からフォービスムにいたる現代芸術の革新的実践が芸術上の価値観を転倒させ,過去への文化に対する価値評価の転換を迫ったものと考えることができる。…
…さらに65年からはオックスフォード大学グレシャム・カレッジの幾何学教授をつとめた。66年のロンドン大火にあたっては,C.レンらとともに市の再建計画に測量ならびに建築担当者として参画し王立医学会の建物などを設計,建造した。科学器具の考案,製作に関し特にすぐれた才能を示し,風力計,自記雨量計などの定量的な気象観測器具の製作,反射望遠鏡,四分儀などの天文観測用具,時計,屈折計,クロノメーターの改良など,フックの名に帰せられるものは多い。…
※「レン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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