ロイド(英語表記)Harold Lloyd

デジタル大辞泉 「ロイド」の意味・読み・例文・類語

ロイド(Harold Lloyd)

[1893~1971]米国の喜劇映画俳優。主にサイレント映画期、丸眼鏡をトレードマークスラップスティックコメディーで活躍。キートンチャップリンと並ぶ三大喜劇王の一人。出演作「要心無用」「ロイドの牛乳屋」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ロイド」の意味・読み・例文・類語

ロイド

  1. 〘 名詞 〙
  2. セルロイド」の略。
  3. ロイドめがね(━眼鏡)」の略。
    1. [初出の実例]「保阪はもう、鼻の下に薄い髯を生やして、ロイドの縁の眼鏡をかけて、洋服まで着込でゐた」(出典:金(1926)〈宮嶋資夫〉三二)

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改訂新版 世界大百科事典 「ロイド」の意味・わかりやすい解説

ロイド
Harold Lloyd
生没年:1893-1971

無声映画時代のアメリカのコメディアンで,チャップリンキートンとともに三大喜劇王と呼ばれる。ネブラスカ州バーチャードの写真屋の子として生まれ,旅回り劇団の端役から映画のエキストラをへて,やがてエキストラ仲間だったハル・ローチHal Roachの設立したロリン・フィルム社で短編喜劇〈ロンサム・リューク〉もの100本余りに出演する。そしてそののち,当時アメリカの都会のどこにでも見られたグレーのフランネル・スーツにストロー・ハット,丸い眼鏡(のちに〈ロイド眼鏡〉と呼ばれるトレードマークになった)というスタイルの新しいキャラクターをつくり出し,チャップリンの亜流のイメージから脱却する。その後パテー,パラマウントと契約して長編《要心無用Safety Last》(1923),《ロイドの人気者The Freshman》(1925)等々,正義派の青年を主人公とし,喜劇としての〈芸〉よりもアイデアと構成,軽快なテンポではらはらさせながら見せるロイド喜劇を次々に生み出して,それらはいわば典型的なアメリカ小市民の楽天主義を代表するものとなっている。

 ときにはチャップリンやキートンをしのぐ人気をえたものの,トーキー時代に入って低迷,《足が第一》(1930),《ロイドの活動狂》(1932)などをつくったが,時代の要求との間にギャップが生じ,1940年代に引退を余儀なくされた。52年に〈喜劇王〉および〈善良な市民〉としてアカデミー特別賞を贈られ,古い作品を編集してまとめた《ハロルド・ロイドの喜劇の世界》(1962),つづいて続編《ロイドの人気者Funny Side of Life》(1963)が公開された。70年代になって旧作のリバイバル公開もされている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロイド」の意味・わかりやすい解説

ロイド
Loyd, Sam

[生]1841.1.30. ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]1911.4.10. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国のパズル作家。本名 Samuel Loyd。チェス・プロブレム(詰チェス)やパチシなどのゲームを創作したことで知られる。工学を学び,蒸気・機械エンジニアの免許を取得したが,その後さまざまな事業に携わり,やがてチェス・プロブレムやパズルの制作だけで生計を立てられるようになった。14歳のときからチェス・プロブレムを考案し始め,17歳でアメリカ随一のチェス・プロブレム作局家として認められるようになった。1860年から,一流のチェス・マスターであるポール・モーフィーが編集する "Chess Monthly"誌のプロブレム欄を担当。1868年に出版されたプロブレム集 "American Chess-Nuts"に問題を寄稿し,1878年には自著のプロブレム集 "Chess Strategy"を出版した。その後,チェス・プロブレムからパズルやゲームに関心を移し,15パズル,トリック・ドンキー,ピグス・イン・クローバー,パチシなどを考案した。のちに息子もロイドのパズル制作に加わり,1896年頃からは親子で執筆したパズル欄が通信社を通じて多くの新聞や雑誌に掲載されるようになった。ロイドのパズルの大きな特徴は,単純な代数的数式をそれとはわからないように巧妙に利用している点である。

ロイド
Lloyd, John Selwyn Brooke

[生]1904.7.28. リバプール
[没]1978.5.17. プレストン,クローマーシュ
イギリスの政治家。ケンブリッジ大学卒業後,弁護士を開業。第2次世界大戦勃発とともに従軍,1944年准将としてノルマンディー上陸作戦に参加し武勲を立てた。戦後 45年に保守党から下院議員として政界に入り,第6回国連総会にイギリス代表の一員として出席,第7回総会では首席代表となった。 51年 W.チャーチル内閣の国璽尚書,51~54年無任所相,54年供給相,55年国防相。 55~60年 R.イーデン内閣の外相。 59年9月 17日第 14回国連総会で,実質的に西側諸国を代表して3段階の包括的軍縮案を提出した。 60~62年蔵相,63~64年国璽尚書兼下院院内総務,71年下院議長。

ロイド
Lloyd, George Ambrose, 1st Baron Lloyd

[生]1879.9.19. イギリス,ウォリックシャー
[没]1941.2.4. ロンドン
イギリスの政治家。イートン校,ケンブリッジ大学を卒業後,アジア北アフリカを旅行。いったん実業界に入ったが,1905年トルコ駐在イギリス大使補佐官。保守党所属下院議員となって活躍 (1910~18,24~25) 。第1次世界大戦中はロシア中近東で活動。戦後ボンベイ総督,エジプト=スーダン高等弁務官,植民相を歴任。 25年男爵。

ロイド
Lloyd, Marie

[生]1870.2.12. ロンドン
[没]1922.10.7. ロンドン
イギリスの女性芸人。本名 Matilda Alice Victoria Wood。 1885年初舞台を踏み,1891~93年のドルアリー・レーン劇場のパントマイムをはじめ,イギリスの一流のミュージック・ホールに出演。機知と節度ある芸で,長年スターとして親しまれた。

ロイド
Lloyd, Harold

[生]1893.4.20. ネブラスカ,バーチャード
[没]1971.3.8. ハリウッド
アメリカの喜劇映画俳優。 1912年映画界に入り,17年以後トレードマークのロイド眼鏡とカンカン帽を着け,アメリカ的な青年気質をコメディーに表現して人気を得た。サイレント喜劇映画の黄金時代をつくった一人。主作品『要心無用』 (1923) ,『ロイドの人気者』 (25) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロイド」の意味・わかりやすい解説

ロイド(Harold Lloyd)
ろいど
Harold Lloyd
(1893―1971)

アメリカの映画俳優。ネブラスカ州バーチャード生まれ。エキストラをしていた1914年、後の名プロデューサー、ハル・ローチと知り合い喜劇役者となる。16年、ボストン型のいわゆるロイド眼鏡にカンカン帽、フランネルのスーツを着たキャラクターを創造し、現実離れした扮装(ふんそう)をしたそれまでの喜劇役者と逆に、どこにでもいるアメリカ青年のイメージを押し出した。『要心無用』(1923)、『猛進ロイド』(1924)、『ロイドの人気者』(1925)など、気弱だがまじめで義侠心(ぎきょうしん)のある青年が危険な状況にたたされ、なんとか切り抜けるという役柄を演じて人気を得た。ギャグよりもむしろキャラクターの普遍性でアメリカ喜劇映画に大きな影響を与え、チャップリン、バスター・キートン、ハリー・ラングドンとともに四大喜劇王の1人と数えられた。

[出口丈人]


ロイド(John Selwyn Brooke Lloyd)
ろいど
John Selwyn Brooke Lloyd
(1904―1978)

イギリスの政治家。ケンブリッジ大学を卒業後、弁護士となり、第二次世界大戦ではモンゴメリー将軍の参謀としてノルマンディー上陸作戦に参加。1945年保守党下院議員。供給相、国防相を経て、1955年イーデン内閣の外相に就任。スエズ戦争ではエジプト攻撃にあたって中心的役割を果たした。その後、財務相、国璽尚書(こくじしょうしょ)を歴任、1971~1976年には下院議長を務めた。

[木畑洋一]

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百科事典マイペディア 「ロイド」の意味・わかりやすい解説

ロイド

米国の映画俳優。ネブラスカ州生れ。1913年映画界入り,かんかん帽と丸眼鏡(〈ロイド眼鏡〉と呼ばれた)が特徴で,明朗で勇敢なアメリカ青年気質を演じ,無声映画時代にはチャップリンキートンとともに三大喜劇王と称された。トーキー作品に《ロイドの牛乳屋》(1936年)などがある。

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367日誕生日大事典 「ロイド」の解説

ロイド

生年月日:1904年7月28日
イギリスの政治家
1978年没

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世界大百科事典(旧版)内のロイドの言及

【船級】より

…一般の外航大型船は24時間3交替で当直が行われており,機関室に常時少なくとも2名の当直がいなければならないが,M0の船級船は夜間まったく無人でエンジンを動かすことができ,エムゼロ船という言葉も使われている。 船級協会の中でもっとも古い歴史を有するイギリスのロイドでは,船体に対して100AまたはAの船級符号を与え,機関に対してLMCを,艤装(ぎそう)に対して1を,製造検査に対してはの各符号を与えている。船体については二つのランクがあるが,外航大型船でAだけの船はあまりないようである。…

【船級協会】より

…また現在においては,このような船舶検査の基本業務以外に,海難に関する統計業務,損傷事故に対する調査や研究業務,国際的な安全基準作成への参加なども行われている。
[船級協会の沿革]
 世界でもっとも古い船級協会はイギリスのロイド(船級協会)Lloyd’s Register of Shippingであり,16世紀ころ,ロンドンのロイドEdward Lloydのコーヒー店で海運関係者が集まり,取引や情報交換を行ううちに会員組織が生まれ,やがて保険業務のための船級協会という組織になったといわれる。19世紀に至って各国でそれぞれ船級協会が設立され,イギリスではもう一つの協会ブリティッシュ・コーポレーションBritish Corporation Registerが1890年に設立されたが,やがて第2次世界大戦後はロイドに併合された。…

【喜劇映画】より

…チャップリンは,エッサネイ,ミューチュアルと,より好条件の撮影所へ移りながら,自作自演の2巻物を撮り続け,《チャップリンの失恋》(1915)で創造した放浪者のキャラクターを生かし,どたばた喜劇の中に,ドラマ性とペーソスを盛りこむ方向へ歩み始める。当時チャップリンと人気を競ったハロルド・ロイド,バスター・キートンも,その〈個性〉においてはチャップリンにひけをとらない存在だった。ロイドの都会的な明朗さ,シャイな好青年ぶりとクライマックスで一気に噴出する行動力の鮮やかな対照,高層ビルの壁面をよじ登るそのアクロバット的な芸は,〈ロイド眼鏡〉とともに,彼のトレードマークとなった。…

※「ロイド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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