翻訳|pantomime
演者が声を用いず,身体の動きや顔の表情のみを表現手段とする芸能。単に〈マイムmime〉ともいい,〈黙劇〉〈無言劇〉などの訳語・用語も用いられる。
pantomimeという言葉は,その語源をさかのぼれば,古代ギリシア語のpantōs(すべて(に))とmimos(ものまね)の合成語pantomimosであり,この言葉自体は古代ギリシアの多くの文献に見ることができる。しかし,このような〈ものまね〉あるいは〈呪術的模倣所作〉とでも称すべきものは,周知のように,演劇一般の〈始源的形態〉にほぼ共通して見ることができる重要な一構成要素であり,そのようなものの一種として,古代ギリシアにおいては先のmimos(あるいはpantomimos)という言葉で表現される〈ものまね〉を中心とした座興的な雑芸(これを演劇史で〈ミモス劇〉などとも呼ぶ)が行われていたことは事実であるにせよ,それが今日のパントマイムに通じる一つの独立した芸能ジャンルであったとは言いがたく,演劇史では,ふつうパントマイムの起源を,古代ローマのパントミムスpantomimusに求めることが行われている。このパントミムスは,ギリシア期における前記の雑芸と比較するならば,その〈ものまね・身ぶり〉的要素が特に取り出されまた強調されて,一つの芸能ジャンルとなったものであり,紀元前後からおよそ5世紀の初めに至るまで,その卑俗性に対するキリスト教会の〈道徳的非難〉やトラヤヌス帝による禁止令等があったにもかかわらず,古代ローマの人々には大いに愛好されて,ピュラデスPyladesやバテュルスBathyllusをはじめとする優れたパントミムス俳優もあらわれた。ローマ帝国の解体以後は,いわば一つの芸能ジャンルとしては消滅するが,実体としては種々の雑芸や笑劇の中にその要素が吸収され,西欧演劇の一底流として中世・ルネサンス期から近代へと生き続けることになる。たとえば,イタリアのコメディア・デラルテの中には,パントミムス的要素を色濃く見てとることができる。なお,17,18世紀にフランス宮廷などで行われた神話を題材とする仮面舞踊劇(バレエ)も,パントミームpantomimeの名で呼ばれている。
執筆者:川添 裕
19世紀に入ると,パントマイムは演劇史の表面に現れ,その全盛期を迎えるにいたった。近代的なパントマイムは,フランスにおいてピエロに扮した芸人の芸として発達した。当時の代表的演者はJ.G.ドビュローであり,彼はパリ・タンプル大通りのフュナンビュール座に出演して,巧みな動きで複雑な感情を描き出し,パリ中の人気者となった。この芸はその後ドクルーÉtienne Decroux(1898-1991)によって洗練の度が加えられ,現代ではドクルーに学んだJ.L.バローやM.マルソーに受け継がれている。なお,ドクルー以後の芸をフランス語でミームmime(英語ならマイム)と呼んで,それ以前のパントミーム(パントマイム)と区別することもある。また,ドビュロー以後の近代的パントマイムの芸は,チャップリンを代表とする無声映画の名優たちによっても受け継がれているといってよい。パントマイムは音声言語を排除するため,自律的な舞台芸術として実践されることは戯曲上演と比してかなり少ないが,冒頭にもふれたように,それが演劇表現の中に占める普遍性によって,今日でも俳優訓練の一手段として世界各国で重視されている。
なお,イギリスでは,パントマイムは今まで述べてきたような無言劇ではなく,クリスマスのころに上演される特殊な芸能を指すことが多い(これを区別してクリスマス・パントマイムChristmas pantomimeとも呼ぶ)。これはコメディア・デラルテ(の道化役アルレッキーノ)から派生したハーレクイネードharlequinadeと呼ばれる芸能が複雑化したもので,18世紀初めにすでに演じられていたが,19世紀に入って本格化した。シンデレラ,アラジン,ロビンソン・クルーソーなど,伝奇的物語の人物を中心として,歌,踊り,アクロバット,奇術などがとり入れられる雑然とした劇で,強い時事風刺性をもつ。主人公は女優がタイツ姿で演じ,逆に老婆や醜女は男性コメディアンが女装して演じるのがしきたりである。表向きは子供向きの芸能だが,卑猥(ひわい)なほのめかしをも含むため,大人にも喜ばれる。
執筆者:喜志 哲雄
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黙劇、無言劇。ことばを用いず身ぶりや表情によって表現する芸能、およびその技術、台本、俳優、上演などをさす。単にマイムmimeとよばれることもある。ギリシア語のパントス(すべて)とミモス(物真似(まね)を中心とした雑芸)の合成語パントミモスが語源。古くは紀元前5世紀の詩人ソプロンの発明とも、名優テレテスが手の指と舞踊のみによる表現を完成したともいわれ、前4世紀のクセノフォンの『饗宴(きょうえん)』にこの語がみえるが、芸能として独立するのはローマ時代である。歌手の歌にあわせて踊り手が身ぶりのみを演じる舞踊劇サルティカ・ファブラの物真似の要素が強調され、前2世紀ごろピュラデスによって完成されて、レダと白鳥を1人で演じ分けたバテュルスや、皇帝に寵愛(ちょうあい)されて妃となったテオドラなどの名優が輩出して一世を風靡(ふうび)した。
ローマ帝国の解体とともにパントマイムは中世の雑芸に吸収され、16世紀のコメディア・デラルテや道化の芸に受け継がれ、17、18世紀には仮面をつけ古代神話に取材した宮廷舞踊やバレエがこの名でよばれた。19世紀に入るとイギリスではグリマルディ父子の喜劇的なクリスマス・パントマイムが流行し、ローレント兄弟、フィリップ・アストレー、フランコーニ一家なども活躍し、ハンロン・リーの劇団はフランスにも巡業した。一方、パリでは名優ドビュローがフュナンビュール座で洗練されたピエロを演じて近代パントマイムの黄金時代をつくりだした。
19世紀末にスペクタクル劇の人気や自然主義の影響で一時衰退し、サーカスのクラウンの芸によってやっと伝えられていたパントマイムは、20世紀初頭にはチャップリンをはじめとする多くの名優によって無声映画のなかで再生するとともに、演技の造形的要素を重視するコポー、スタニスラフスキー、メイエルホリドなど現代劇の指導者によって再評価された。そして俳優養成に利用され、そこから、台詞(せりふ)抜きの身体訓練がパントマイムとよばれるようになった。同時に、独立した舞台芸術としてのパントマイムもフランスのエチエンヌ・ドクルーらによって探究され、ジャン・ルイ・バローやマルセル・マルソーがそれに加わって、時間と空間の圧縮や体の各部の外界に対する反応を表現手段として、人間の心理だけでなく宇宙との交感まで表そうとする現代マイムが創造されてゆく。バローはその成果を前衛劇『母をめぐって』や映画『天井桟敷(てんじょうさじき)の人々』(1944)で示し、マルソーはピエロを現代化したビップを演じて沈黙の詩劇を目ざす「様式のマイム」を完成する。そのほかフランスではウォルフラム・メーリングのマンドラゴール座やジャック・ルコックの学校が現在も活躍している。旧チェコスロバキア出身のミラン・スラデク率いるドイツのケルン・パントマイム劇団や、ヘンリック・トマシェフスキ主宰のポーランド・バレエ・マイム劇団なども独自の活動を続けている。
東洋では黙劇として独立したものはなかったが、エジプトの祭儀や古代インドのシバの舞踊などにその要素がみられる。日本でも『日本書紀』中の火闌降命(ほのすそりのみこと)が海に溺(おぼ)れるさまを表す演技をはじめ、神楽(かぐら)、壬生(みぶ)狂言、歌舞伎(かぶき)のだんまり、舞踊劇の一場面などに事実上パントマイムにあたるものは少なくない。
[安堂信也]
『M・マルソー、H・イエーリンク対談、尾崎宏次訳『パントマイム芸術』(1971・未来社)』
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…しかし皮肉なことに,シェークスピア劇はH.アービングやエレン・テリーのような名優の演技に支えられて,この時代にもはなはだ人気があった。他方この時期には,歌や踊りや奇術などを雑然と並べたミュージック・ホールや,伝奇的内容を歌や踊りで綴り,風刺性を加えたパントマイムなど,イギリス独自の大衆芸能も成立した。1870年代から90年代にかけて,W.S.ギルバートの脚本と詞,A.S.サリバンの曲によって発表された,〈サボイ・オペラ〉と呼ばれる一連のオペレッタも人気を集めた。…
…寄席芸人の子としてロンドンに生まれ,母の病気と父の死後,下町で浮浪児同然のどん底生活を経験,8歳で芸人として初舞台を踏んで天分を認められた。17歳のときイギリスで人気を集めていた喜劇一座の劇団員となり,踊り,歌,道化,ものまね,パントマイムその他,のちの喜劇俳優としての成功を支えることになる基本的な技術とスタイルをすべて身につけた。 1912年,アメリカ巡業中に,勃興期にあったアメリカの喜劇映画のパイオニアであったマック・セネットに認められて,13年にキーストン社に入り,《成功争い》(1914)に初出演した。…
…喜劇,パントマイムなどに登場する喜劇的な定型人物(役柄)の呼称。また日本では混同してサーカスのクラウン(道化)をこの名で呼ぶことも多い。…
…ミームとは,かつてのJ.G.ドビュローのピエロの芸に代表されるパントマイムとは区別されて,現代に至り,フランスのエティエンヌ・ドクルーÉtienne Dec‐roux(1898‐1991)によって創始された新しい身ぶり芸術表現に対する呼名である。ドクルーはまずJ.コポーのビュー・コロンビエ座に学び,その後はC.デュランのアトリエ座で,J.L.バローや後にはM.マルソーなどとともに,単なる物まねではないこの新しいジャンルに踏み出して,その創始者となった。…
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[ローマ演劇のその後]
文学的な芝居は徐々に衰微していったが,ミムス劇やパントミムスpantomimus劇(せりふをまったくなくした黙劇。民衆的な雑芸として生き続け,今日のパントマイムにつながる)などはなおしばらく大衆の娯楽として続いた。しかし,それすらも帝政期に入ると衰微した。…
※「パントマイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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