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ロカルノ条約 ロカルノじょうやくPact of Locarno

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロカルノ条約
ロカルノじょうやく
Pact of Locarno

1925年 10月 16日スイスのロカルノで,ドイツベルギーフランス,イギリス,イタリアが互いにヨーロッパの平和を保障し,さらにドイツが,ベルギー,フランス,チェコスロバキアポーランドとの紛争を平和的手段で解決することを取決め,同年 12月1日ロンドンで調印された一連の条約。この条約は,ある意味で 24年国際連盟で採択されながら批准されなかったジュネーブ議定書に代るものであった。この条約で,ドイツは西部国境の不可侵を約したが,東部国境に関しては仲裁裁判にだけ同意し,イギリスもフランス,ベルギーに対する保障を約束したが,ポーランド,チェコスロバキアについてはそれを拒否した。一方ドイツは,ソ連の疑念をやわらげるために 26年4月にソ連と中立条約を結び,ラパロ条約を再確認した。しかしヒトラー政権成立後,36年3月ドイツは 35年の仏ソ条約を理由にロカルノ条約を廃棄し,ラインラントに軍隊を送った。さらに 38年チェコスロバキア,次いで 39年ポーランドへ進入し,ロカルノ条約は名実ともにくずれ去った。

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デジタル大辞泉の解説

ロカルノ‐じょうやく〔‐デウヤク〕【ロカルノ条約】

1925年スイスのロカルノで、イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロバキアの7か国が締結した一連の欧州相互安全保障条約。ドイツとベルギー・フランスとの国境の現状維持、相互不可侵ラインラントの非武装化などが決定されたが、1936年ヒトラーによって破棄された。

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百科事典マイペディアの解説

ロカルノ条約【ロカルノじょうやく】

1925年英,仏など7ヵ国がスイスのロカルノLocarnoで締結した諸条約の総称。英,伊,独,仏,ベルギーがラインラント非武装化と現国境の維持を取り決めた条約,仏,ベルギー,ポーランド,チェコスロバキアがドイツと締結した仲裁裁判条約,チェコスロバキア,ポーランドがフランスと締結した相互保障条約が含まれていた。
→関連項目チェンバレンブリアンロカルノ

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世界大百科事典 第2版の解説

ロカルノじょうやく【ロカルノ条約】

1925年10月5日よりスイスのロカルノで,イギリス,フランス,ベルギー,ドイツ,イタリア,ポーランド,チェコスロバキア各代表が参加してヨーロッパの安全保障に関する国際会議が開催された。10月16日,最終議定書のほか,イギリス,フランス,ベルギー,ドイツ,イタリア5ヵ国のラインラントの現状維持に関する相互保障条約(いわゆるロカルノ条約,あるいはライン条約),ドイツとフランス,ベルギー,ポーランド,チェコスロバキアの各国との四つの仲裁裁判条約が仮調印され,12月1日,ロンドンで正式に調印された。

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大辞林 第三版の解説

ロカルノじょうやく【ロカルノ条約】

1925年スイス南部の保養地ロカルノ(Locarno)で、イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・ベルギー・ポーランド・チェコスロバキアの間で締結された中部ヨーロッパの安全保障に関する条約。ドイツ国境の現状維持、相互不可侵、仲裁裁判などを規定し、第一次大戦後のヨーロッパの安定を図った。36年ナチス-ドイツにより破棄された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロカルノ条約
ろかるのじょうやく

ラインラントに集団安全保障体制を確立し、第一次世界大戦後の国際緊張を緩和した条約。
 1925年4月に就任したフランス外相ブリアンは、ドイツ外相シュトレーゼマンが2月9日に提示していた条約案を積極的に取り上げた。独仏の勢力均衡と欧州市場安定を重視したイギリス外相チェンバレンはイタリア首相ムッソリーニとともに保障供与に応じた。条約は10月16日スイスのロカルノLocarnoで仮調印され、12月1日ロンドンで本調印された。ロカルノ条約のうち、ドイツ、ベルギー、フランス、イギリス、イタリア五か国間条約(ライン協定)は、ラインラントの現状維持、不可侵、非武装地帯化を集団的に保障し、原則として戦争を禁止し、紛争の平和的処理を義務づけた。また、ドイツとフランス、ベルギー、ポーランド、チェコスロバキアの四つの仲裁裁判条約は、当事国が権利を争う問題と裁判による解決が不可能な問題の両面にわたり、平和的処理の態様を明示した。
 この条約が成立した結果、フランスはラインラント保障占領に制限を加えられ、ドイツ東部国境と西部国境の質的差異の明確化によって東欧小国の地位は不安定化し、東欧援助に赴くフランス軍のドイツ領土通過が事実上不可能となったため、保障占領と東欧同盟網を連動させる構想に深刻な打撃を受けた。他方、ラパロ条約でソ連と結び孤立化していたドイツは、ロカルノ条約発効の条件である国際連盟加入を1926年9月に常任理事国として実現し、敗戦国の地位を脱し、大国として西欧の一員に復帰した。ヨーロッパは、ドーズ案による経済復興の政治的基盤を獲得したが、世界恐慌はこの構造を痛打し、さらに36年3月7日ヒトラーのロカルノ条約廃棄宣言とラインラント進駐に、締約国は有効に対処しえず、ここにロカルノ条約は終焉(しゅうえん)を告げた。[濱口 學]

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