ドーズ案(読み)ドーズアン(その他表記)Dawes Plan

デジタル大辞泉 「ドーズ案」の意味・読み・例文・類語

ドーズ‐あん【ドーズ案】

第一次大戦後のドイツ賠償支払問題に関する計画案。支払期限延長アメリカ資本貸与などを骨子とするもので、米国の財政家ドーズ(C.G.Dawes)を委員長とする賠償委員会が立案し、1924年に採択。→ヤング案

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精選版 日本国語大辞典 「ドーズ案」の意味・読み・例文・類語

ドーズ‐あん【ドーズ案】

  1. 第一次世界大戦後のドイツ賠償問題解決案の一つ。一九二四年、アメリカ代表のドーズ(C. G. Dawes)を長とする国際専門家委員会が立案し、実施された。向こう五か年間の支払い年額を決め、以後ドイツ経済回復とともに増額することとした。

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改訂新版 世界大百科事典 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案 (ドーズあん)
Dawes Plan

第1次大戦後のドイツ賠償問題に関し,アメリカの銀行家ドーズCharles G.Dawes(1865-1951)を長とする賠償委員会が1924年に作成した賠償支払計画案。ドイツは大戦後1320億金マルクにのぼる膨大な賠償を課せられたが,極度のインフレにより支払不能に陥り,フランスはそのかたに1923年1月ルールを占領し,ドイツ経済は大混乱に陥った。ドーズ委員会は,ドイツ通貨の安定と財政均衡をはかり,賠償方式を緩和させる一方で,ドイツの鉄道,工業施設を担保にすることによってアメリカの資本を導入し,ドイツ工業の復興をはかる収拾案を作成し,これが24年7~8月のロンドン賠償会議で採択調印された。以後,支払は円滑に進行し,ドイツ経済立直りのきざしが見えた。25年ドーズはその功績によりノーベル平和賞を受ける。しかしドイツは,なお膨大な賠償支払のために,同案実施後6年にして再度支払困難に陥り,のちヤング案による修正を余儀なくされた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案
ドーズあん
Dawes Plan

1924年8月 16日に採択され,同年9月1日から実施されたドイツの賠償問題に関する再建計画。アメリカの C.ドーズ原案によるもの。 23年1月 11日フランスはドイツに第1次世界大戦の賠償支払いに誠意がないとみてルールを占領,ドイツの政治,社会,経済は大混乱に陥った。その解決策として立案されたのがドーズ案で,賠償の総額と支払期間には触れず,向う5ヵ年間の支払年額のみを定めた。第1年目の 1924年は 10億金マルク,第5年目以後は 25億金マルクとするが,ドイツ経済の繁栄に応じて増額するというもの。実施にあたって多額のアメリカ資本をドイツに投入し,独仏対立の和解に寄与し,25年のロカルノ条約の成立をもたらした。しかし暫定的性格のため,29年6月に採択されたヤング案によって修正された。 (→ドイツ賠償問題 )  

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百科事典マイペディア 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案【ドーズあん】

1924年ロンドン賠償会議で採択されたドイツ賠償問題解決案。ドーズC.G.Dawesを長とする委員会が提案。賠償金の総額や支払期限は未定のまま,徐々に賠償金を取り立てようとするもので,ドイツは巨額の外資(米国が主)を導入して経済の再建と合理化に成功。→ヤング案
→関連項目ドーズルール問題ワイマール共和国

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドーズ案」の解説

ドーズ案(ドーズあん)
Dawes Plan

第一次世界大戦後ドイツの賠償問題をめぐるルール占領などの混乱ののち,国際専門家委員会(アメリカの銀行家ドーズが議長)によって新たに提案され,1924年8月ロンドン会議で採択された賠償支払計画。ドイツ経済を破壊することなく賠償支払いを円滑に行う方法として,向こう5年間の経過措置を定め(初年度10億金マルクから5年目に標準額25億金マルクへとゆるやかに増加),外貨でなく自国通貨による支払いも認めた。ライヒスバンク(ドイツ中央銀行)を連合国の監督下に置くとしたほか,支払財源の一つとしてドイツ国有鉄道を株式会社経営に変え,その収益を提供することなど,憲法修正条項を含んでいたが,ドイツの国会で承認,受諾され,1925年7月フランスはルールから撤兵した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案
どーずあん
Dawes Plan

第一次世界大戦後のドイツ賠償支払い問題に関する計画案。1924年、アメリカのC・G・ドーズを長とする国際専門委員会によって作成され、この年の9月からヤング案成立(1930)までの6年間実施された。28年度以降の標準年次金を25億金マルクとし、それまでの年次金を低くし、ドイツの賠償支払いを円滑化しようとした。また、ドイツの支払い義務は、連合国監督下のライヒスバンクへの払込みをもって完了し、外資調達は連合国の責任とされた。ドーズ案の成立は、ドイツへの外資流入の道を開き、これによってドイツに流入した巨額の外資、とくにアメリカ資本は、相対的安定期のドイツ経済の再建と、連合国の対アメリカ戦債支払いを可能とした。

[紀平英作]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドーズ案」の解説

ドーズ案
ドーズあん
Dawes Plan

1924年,アメリカの銀行家ドーズを長とする委員会が立案した,第一次世界大戦後のドイツ賠償支払い緩和計画
賠償金の支払方法・期限の緩和をねらったもので,賠償の総額・期限にはふれず,向こう5年間の年次支払額を決めた。これにより多額のアメリカ資本が投下され,ドイツの経済復興に大きく寄与した。のちにヤング案で修正された。

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世界大百科事典(旧版)内のドーズ案の言及

【ベルサイユ体制】より


[崩壊]
 ベルサイユ体制の最大の不安定要因はドイツの不満であり,ドイツの最大の不満は賠償問題をめぐるものであった。1924年になると,アメリカの財政問題の専門家C.G.ドーズを委員長とする賠償専門委員会によっていわゆるドーズ案が作成された。ドーズ案は賠償総額を棚上げにしてさしあたり5年間にドイツが支払うべき額を決定した。…

【ワイマール共和国】より

…ラインラントではフランスの後援による分離運動が活発化した。このなかで,ドイツ政府は11月,レンテンマルクを発行してインフレを抑え,国防軍の力によって各地の反乱を鎮めるとともに,経済再建を望むアメリカと,革命化を恐れるイギリスの助けを借りて,24年8月,ドーズ案を締結して賠償問題を暫定的に解決し,ようやく混乱を乗り切ったのである。
[相対的安定期]
 ドーズ案の成立とともに,共和国にはしばしの安定と繁栄が訪れた。…

※「ドーズ案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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