ドーズ案(読み)ドーズあん(英語表記)Dawes Plan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案
ドーズあん
Dawes Plan

1924年8月 16日に採択され,同年9月1日から実施されたドイツ賠償問題に関する再建計画。アメリカの C.ドーズ原案によるもの。 23年1月 11日フランスはドイツに第1次世界大戦の賠償支払いに誠意がないとみてルールを占領,ドイツの政治,社会,経済は大混乱に陥った。その解決策として立案されたのがドーズ案で,賠償の総額と支払期間には触れず,向う5ヵ年間の支払年額のみを定めた。第1年目の 1924年は 10億金マルク,第5年目以後は 25億金マルクとするが,ドイツ経済の繁栄に応じて増額するというもの。実施にあたって多額のアメリカ資本をドイツに投入し,独仏対立の和解に寄与し,25年のロカルノ条約成立をもたらした。しかし暫定的性格のため,29年6月に採択されたヤング案によって修正された。 (→ドイツ賠償問題 )  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーズ案」の意味・わかりやすい解説

ドーズ案
どーずあん
Dawes Plan

第一次世界大戦後のドイツ賠償支払い問題に関する計画案。1924年、アメリカのC・G・ドーズを長とする国際専門委員会によって作成され、この年の9月からヤング案成立(1930)までの6年間実施された。28年度以降の標準年次金を25億金マルクとし、それまでの年次金を低くし、ドイツの賠償支払いを円滑化しようとした。また、ドイツの支払い義務は、連合国監督下のライヒスバンクへの払込みをもって完了し、外資調達は連合国の責任とされた。ドーズ案の成立は、ドイツへの外資流入の道を開き、これによってドイツに流入した巨額の外資、とくにアメリカ資本は、相対的安定期のドイツ経済の再建と、連合国の対アメリカ戦債支払いを可能とした。

[紀平英作]

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