スイス南部,マジョーレ湖北西岸に位置する都市で,観光・保養地として知られる。人口1万4000(1990)。カロリング時代は王宮所在地,その後都市的発展を見て,中世を通じてコモ司教をはじめさまざまな領主の支配下に置かれた。1342年以降には,ミラノ公ビスコンティ家,ついでスフォルツァ家の直接支配下に置かれた。15世紀末にフランス国王ルイ12世が対ミラノ戦争を起こしたが,その際,勝利後のロカルノ割譲と引き換えにスイスに兵員の提供を求めた。これを契機に南への膨張を念願していたスイスは1516年にロカルノ獲得に成功し,共同支配地とした。1803年のナポレオン調停条約によって初めてロカルノはティチノ州(カントン)の一部を構成して,スイス連邦に正式に加わった。1925年ヨーロッパの7ヵ国がロカルノで会議を開き,安全保障条約(ロカルノ条約)を締結し,それによってドイツの国際連盟加入を認めたことで一躍ロカルノは世界的に有名になった。
産業面では中世には絹織業が栄えたが,1874年ザンクト・ゴットハルト線と鉄道が接続するとホテル産業が始まり,気候温暖,山紫水明に人気が集まり,避寒・避暑地となった。市内には中世の面影を残すビスコンティ城があり,城内は博物館となっている。市の北部の丘の上には1487年に創建されたマドンナ・デル・サッソ旧修道院があり,眼下にマジョーレ湖とロカルノの町を眺望できる。
執筆者:森田 安一
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スイス中南部、ティチーノ州の都市。マッジョーレ湖に臨み、美しい風光と相まってスイスではもっとも気候温暖な都市で、19世紀以来、観光客を多く集めている。同州の観光都市ルガノより年平均気温で3℃も高い。人口は1万4417(2001)であるが、夏季の観光シーズンには倍以上になる。ゲルマン系スイス人やドイツ人の老人がここに移住して余生を楽しむ。イタリア語を話す人は少数であり、ここで活躍するためにはドイツ語をよくすることが条件とされる。
[前島郁雄]
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