日本大百科全書(ニッポニカ) 「一致令」の意味・わかりやすい解説
一致令
いっちれい
Henotikon
ビザンティン皇帝ゼノンが482年に、単性論派教会の離反を防ぐために出した勅令。キリスト論をめぐる教会内部の争いは、カルケドン公会議(451)でいちおうの決着がつき、キリストは完全な神性と完全な人性を具有するとの教義が確立した。これに対して、キリストの神性を重視する単性論派は、エジプトとシリアで独自の教会を形成し始めた。それには、帝国の中心部に対する地方の民族的反感も加わっていた。
ゼノンは最初、単性論派を弾圧したが、東方の離反の危険に際して、カルケドン信条を事実上撤回する内容の一致令で妥協を図った。これによって、単性論派の離反はある程度食い止められた。
しかし、一致令はローマ教会の反発を招き、教皇フェリクス2世は484年、コンスタンティノープル総主教アカキオスを破門し、以後518年までの約30年間、ローマ教会とビザンティン教会との交わりは断たれた。これを「アカキオスの分離」とよぶ。
[森安達也]