日本歴史地名大系 「近木庄」の解説
近木庄
こぎのしよう
- 大阪府:貝塚市
- 近木庄
〔立庄〕
弘安四年(一二八一)二度目の蒙古来襲の際、丹生明神社が蒙古調伏の祈祷をした功により、同七年、幕府は国衙領であった近木郷の地頭分を同社に寄進、また朝廷も正応三年(一二九〇)の院宣をもって国方(領家分)を寄進して近木庄が成立した(正応六年三月二八日「太政官牒」興山寺文書)。ところが近木庄成立に対して
〔四ヵ番と地頭〕
古代近義郷では近木川両岸に条里制が施行され、里名も二、三確認される。長承三年(一一三四)五月三日珍則安田地売券(早稲田大学所蔵文書)に「近義里」、仁平二年(一一五二)正月二八日平姉子田地売券に「水江里」がみえる。時代は下るが応永三二年(一四二五)の馬上帳(高野山御影堂文書)にはほかに下古家田里・上古家田里・井里・井里外里・神前里・伊馬内里・蔭墓里・垣田坂里などが記され、これも条里遺称とみられている。中世、近木郷は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報