七浦(読み)ななうら

日本歴史地名大系 「七浦」の解説

七浦
ななうら

厳島門前町周辺の浦を除き、島の周りにある浦の総称。島を東回りに弥山みせんをたえず右手に仰ぎながら、すぎの浦・鷹巣たかのす浦・腰細こしぼそ浦・青海苔あおのり浦・山白やましろ浜・須屋すや浦・御床みとこ浦の順に連なり、各浦にそれぞれ神祠が祀られる。この七浦を拝所とする島廻りの神事が古くから行われているが、これは弥山を神聖視して斎き祀る島の原始信仰に基づき、巡島禊祓することに始まるもので、「房顕覚書」によると天正九年(一五八一)には何度も島廻りが行われており、養父やぶ崎での御烏喰、七浦各社への願立などが記される。「芸藩通志」は島廻りの禊と御烏喰神事について次のように記す。

<資料は省略されています>
〔杉の浦〕

島の最北端、ひじり崎の蓬莱ほうらい巌を東に回ると最初の浦。生相浦おいあいのうらともいう。砂浜が五町ほどあり、松杉の大木が生茂る。底津少童命を祀ると伝える杉浦社がある。島廻り第一の拝所。大永七年(一五二七)三月一五日の祭礼を発端に神領衆と倉橋・蒲刈警固船との紛争が生じた時、蒲刈警固船一七〇艘ほどが来襲、杉の浦へ上陸して、博奕尾ばくちおを進み、「西浦・滝小路・中江・在浦ニ火ヲ懸ル」挙にでている(房顕覚書)

〔鷹巣浦〕

杉の浦から南へ島伝いにつつみヶ浦を経て至る。砂浜六町ばかり、底筒男命を祀ると伝える鷹巣浦社がある。


七浦
ななうら

鵜戸うど山地の東側、日向灘に面するリアス海岸部の浦々の総称で、「歴史の道調査報告書」によると古くは七浦とは北から内海うちうみ小内海こうちうみ(現宮崎市)鶯巣おうさ伊比井いびい富土ふと小目井こめいみや(宮浦)の各浦々をいった。応永二六年(一四一九)油津あぶらつに侵攻した島津貴久北上の進路を加江田かえだ(海江田城、現宮崎市)土持氏に連絡し、土持氏は「七之浦」から加江田までの行路を保証したが、貴久は鹿児島に帰陣している(「島津義天譜」旧記雑録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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