三つ橋勾当(読み)みつはしこうとう

改訂新版 世界大百科事典 「三つ橋勾当」の意味・わかりやすい解説

三つ橋勾当 (みつはしこうとう)

地歌三弦家。生没年不詳。大坂享和年間(1801-04)ころ活躍。《松竹梅》《根曳の松》を作曲したが,各地各派でいろいろの替手が付けられている。この2曲は《名所土産》(作曲者不詳。玉塚検校とも,讃州某とも)とともに免許制度のうえで〈三役〉とされ,組歌を除いては最高位の曲である。《松竹梅》では,新しく一下り調子調弦考案。この曲は胡弓曲にも移曲されている。
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朝日日本歴史人物事典 「三つ橋勾当」の解説

三つ橋勾当

生年:生没年不詳
江戸中・後期の地歌三弦家。勾当盲人官位で検校の下位三橋,三ツ橋,三津橋とも。名は不明。大阪系地歌の伝承上,最も重要な3つの大曲のうちの「松竹梅」「根曳の松」を作曲。いずれも調子変化の多い技巧的な曲である。『増補新成鶴の声』(1796)に「松竹梅」の歌詞が初出することと,天保3(1832)年1月付の三ツ橋勾当名の免状が残ることなどから,18世紀末ごろから19世紀前半にかけて大坂で活躍したと推定される。『新大成糸のしらべ』(1801)という地歌の歌詞集の校訂にも参加。当時の大坂の地歌・箏曲界を代表する音楽家であったらしい。

(谷垣内和子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三つ橋勾当」の意味・わかりやすい解説

三つ橋勾当
みつはしこうとう

享和年間 (1801~04) 以前頃から大坂で活躍した盲人の地歌演奏,作曲家。作曲には『松竹梅』『根曳きの松』があるが,これらは作曲者未詳の『名所土産』とともに地歌三弦の免許制における「三役」とされ,三味線組歌を除いては最高の曲である。2曲とも各地各流でいろいろな箏の手や三弦替手が作られ流行,『松竹梅』は胡弓曲としても行われている。 (→松竹梅物 )

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三つ橋勾当」の解説

三つ橋勾当 みつはしこうとう

?-? 江戸時代後期の地歌三味線家。
享和-文政(1801-30)のころ大坂で活躍。「松竹梅」「根曳(ねびき)の松」の作曲で知られる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三つ橋勾当の言及

【地歌】より

…その作詞には,文人,俳人,通人たちの関与したものも多く,享保期(1716‐36)には柳沢淇園,天明期では二斗庵下物,流石庵羽積などが知られる。 三味線の器楽曲は,すでに貞享(1684‐88)以前から存在しており,《すががき》《りんぜつ》《ししおどり》《れんぼ》《きぬた》などの楽曲があったが,のちにはその前後に歌が添えられるようになり,寛政(1789‐1801)ころには,《さらし》などのように,間奏部の器楽性の高いものとともに,〈手事物(てごともの)〉として分類されるようになり,大坂では峰崎勾当,三つ橋勾当らがその新作を盛んに行った。同時に,三味線2部の合奏形式も生まれ,〈段合せ〉〈本手〉〈本手と替手〉などのさまざまな合奏が行われるようになった。…

【松竹梅】より

…なお,落語その他の芸能の素材としても扱われている。(1)地歌・箏曲 三つ橋勾当作曲の三味線手事物が最古典曲で,地歌〈三役物〉の一つでもあり,〈大阪十二曲〉の一つでもある。手事に〈巣籠地(すごもりじ)〉が合わされる〈地もの〉の代表曲でもあるが,古くから胡弓および箏の手が付けられており,箏の手は流派,地域により異なる。…

【根曳の松】より

…地歌・箏曲の曲名。松本一翁作詞,三つ橋勾当作曲の手事物。大阪十二曲の一つともされ,また,《松竹梅》《名所土産(めいしよみやげ)》とともに,〈三役物〉という三味線手事の最高の曲とされる。…

※「三つ橋勾当」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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