三大革命運動(読み)さんだいかくめいうんどう(英語表記)Sān dà gé mìng yùn dòng

改訂新版 世界大百科事典 「三大革命運動」の意味・わかりやすい解説

三大革命運動 (さんだいかくめいうんどう)
Sān dà gé mìng yùn dòng

1960年代前半に,全体として右傾化しつつあった中国で,毛沢東派がこれに抗するために提起した運動。その内容は階級闘争,生産活動,科学実験活動に参加することによって,人の社会と自然に対する認識は高まるというものである。重要なのは階級闘争と科学実験活動の提唱である。当時は1958,59年の大躍進政策の挫折で,治安は乱れ,党上層部の特権層化が目だった時期である。このような状況をふまえて,社会主義階級社会とする論が出てきた。階級闘争はこれに向けられたものである。また,国際的に当時は孤立化に追い込まれた。すなわち60年7月ソ連はすべての経済・技術協定を破棄し,アメリカ,日本との交流は開かれていなかった。国内建設のために頼れるのは大衆の創意くふうしかなかった。これを科学実験闘争という言葉で総括したのである。66年以後の文化大革命期の重要な指針ともなったが,79年以後は提唱されていない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三大革命運動」の意味・わかりやすい解説

三大革命運動
さんだいかくめいうんどう

北朝鮮で社会主義,共産主義建設のために遂行されなければならないとされている思想,技術,文化の革命を推し進める運動。 1973年2月キム・イルソン (金日成) 主席は三大革命推進強化の新方針を打出し,朝鮮労働党中央委員会労働党国家機関の活動家,科学技術者,青年知識人で三大革命小組を構成し,人民経済各部門に派遣することによって各部門幹部の保守主義,経験主義,形式主義を批判して経済建設を促進しようとした。この三大革命小組の指導者はキム・イルソン主席の実子キム・ジョンイル (金正日)といわれ,後継者問題とからみこの運動は注目を集めた。

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