改訂新版 世界大百科事典 「三富新田」の意味・わかりやすい解説
三富新田 (さんとめしんでん)
武蔵国入間郡(現,埼玉県入間郡三芳町,所沢市)にあり,武蔵野台地北東部に位置する元禄期(1688-1704)の畑作新田。三富とは上富,中富,下富の総称で,武蔵川越藩(当時の藩主は柳沢吉保)の藩営新田である。幅6間(約11m)の道路を縦横に開き,それに沿って間口40間(約73m),奥行375間を一区画として民家ならびに耕地を短冊状に配置した。1696年の検地帳によるとその総反別は900町歩余(約9km2),石高は3400石余,戸数180の大新田で,1戸当りの耕地は5町歩前後(うち屋敷地5畝歩(約500m2))の整然たる畑作新田である。武蔵野台地は乏水性で地下水位が深いので飲料水に苦労し,最初11の井戸を掘って共用(以後増加),中富多聞院境内の井底の深さは25mに及ぶ。1755年(宝暦5)の〈下富村明細帳〉によると畑の作物は,大麦,小麦,粟,稗,岡穂,蕎麦,大根等である。道路から屋敷地,畑,平地林の順に区切った伝統的な土地利用景観は〈三富開拓地割遺構〉として県旧跡に指定されているが,近年は都市化が著しい。多福寺,多聞院の2寺は元禄期に農民の菩提寺として開創されたものである。
執筆者:木村 礎+新井 寿郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報