三富新田(読み)さんとみしんでん

大辞林 第三版の解説

さんとみしんでん【三富新田】

江戸時代、川越城主柳沢吉保によって開発された武蔵野台地の新田。上富かみとみ(現三芳町)・中富なかとみ・下富しもとみ(現所沢市)の総称。さんとめ新田。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

三富新田

江戸時代の元禄期(1688~1704)に武蔵国入間郡で川越藩が開発した畑作新田。「三富」とは上富(三芳町)、中富所沢市)、下富(同)の総称6間(約11メートル)の道路を縦横に整備し、それに沿って幅40間(約72メートル)、奥行き375間(約675メートル)を一区画として民家耕地を短冊状に配置した。

(2017-11-16 朝日新聞 朝刊 埼玉全県・2地方)

三富新田

江戸時代の元禄期(1688~1704)に武蔵国入間郡で川越藩が開発した畑作新田。「三富」とは上富(三芳町)、中富(所沢市)、下富(同)の総称。幅6間(約11メートル)の道路を縦横に整備し、それに沿って幅40間(約72メートル)、奥行き375間(約675メートル)を一区画として民家と耕地を短冊状に配置した。

(2017-11-16 朝日新聞 朝刊 埼玉全県・2地方)

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百科事典マイペディアの解説

三富新田【さんとめしんでん】

元禄期(1688年―1704年)に武蔵川越藩が開いた三新田(上富新田・中富新田・下富新田)の総称。〈さんとみ〉ともいう。1694年藩主柳沢保明が家臣曾根権太夫らに命じて近村の農民を入植させ,1696年検地を行って立村。入植者の精神的拠所として上富(かみとめ)に多福寺,中富に毘沙門天社を創建した。道路を碁盤の目のように造り,それに面して住居,その奥に畑地が短冊形に区画され,一軒分の所持面積は5町であった。村名は《論語》の子路篇からとったという。上富は現埼玉県三芳(みよし)町,中富・下富は同県所沢市にあり,中富から下富にかけて開拓時の地割が残る。→新田開発

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世界大百科事典 第2版の解説

さんとめしんでん【三富新田】

武蔵国入間郡(現,埼玉県入間郡三芳町,所沢市)にあり,武蔵野台地北東部に位置する元禄期(1688‐1704)の畑作新田。三富とは上富,中富,下富の総称で,武蔵川越藩(当時の藩主は柳沢吉保)の藩営新田である。幅6間(約11m)の道路を縦横に開き,それに沿って間口40間(約73m),奥行375間を一区画として民家ならびに耕地を短冊状に配置した。1696年の検地帳によるとその総反別は900町歩余(約9km2),石高は3400石余,戸数180の大新田で,1戸当りの耕地は5町歩前後(うち屋敷地5畝歩(約500m2))の整然たる畑作新田である。

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世界大百科事典内の三富新田の言及

【三芳[町]】より

…武蔵野台地の北東部に位置し,所沢市の北東に接する。江戸時代に平地林を切り開いて開拓された新田集落が多く,なかでも上富(かみとめ)は,所沢市に属する中富,下富とともに,元禄年間(1688‐1704)に三富(さんとめ)新田として開拓されたもので,武蔵野台地の代表的新田集落として知られる。東武東上線鶴瀬駅へのバスの便がよく,都内への通勤に便利なため,1960年代後半から人口が増加した。…

※「三富新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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