三屋村(読み)さんやむら

日本歴史地名大系 「三屋村」の解説

三屋村
さんやむら

[現在地名]秦野市三屋

北・西は戸川とかわ村、南は水無みずなし川を境に堀山下ほりやました村、東は曾屋そや村に接する。北方戸川村から曾屋村へ平塚道が通る。元禄・天保両郷帳に「戸川村枝郷三屋村」とある。明和六年(一七六九)の御縄打帳(飯田文書)には「戸川三屋」とあるが、同年の新田検地帳(同文書)をはじめ天明四年(一七八四)の郷村帳(同文書)にも「三屋村」とあり通常は独立村として扱われる。


三屋村
さんやむら

[現在地名]豊中市庄内しようないひがし町二―四丁目・西にし町三―四丁目・さいわい町三―五丁目〉

現豊中市域の南部低地にあり、天竺てんじく川の西岸に沿って野田のだ村集落の南に接続しており、またすぐ南には牛立うしだて村がある。元文元年(一七三六)の豊島郡誌(今西家文書)には「西長嶋村 元ノ名ハ三津屋」と記す。天竺川対岸の東長島ひがしながしま(小曾根郷長島村)に対して西長島と称したものであろう。三屋のなかに「西長島」という小字地がある。また三屋を江戸時代のある時期までは「みつや」とよんでいたことは明らかである。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳および元禄郷帳には「三ツ屋村」とある。


三屋村
みつやむら

[現在地名]福井市三ツ屋みつや

福井城下の北西、日野川右岸近くに位置し、北は地蔵堂じぞうどう村、南は西堀にしぼり村に接する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では舟津ふなつ之郷に含まれた地と思われる。村名は正保郷帳にみえ、田方二二二石余・畠方二九二石余。福井藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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