日本歴史地名大系 「戸川村」の解説 戸川村とかわむら 神奈川県:秦野市戸川村[現在地名]秦野市戸川北は横野(よこの)村、南は三屋(さんや)村、東は菩提(ぼだい)村、西は水無(みずなし)川を隔てて堀山下(ほりやました)村に接する。「砥川」とも記され(風土記稿)、古くから砥石を産するという。正保国絵図に「戸川村」とある。元禄郷帳・天保郷帳ともに枝郷として三屋村を記す。近世は初め幕府直轄領、寛永一〇年(一六三三)旗本戸田領、文政三年(一八二〇)幕府直轄領。享保三年(一七一八)から小田原宿の加助郷を勤め、同一〇年から一四六石が免除された(寛延三年「東海道小田原宿助郷高控帳」熊沢文書)。明治三年(一八七〇)の三屋村明細帳(秦野市史二)によれば、水無川上流から用水を引いて生活・田場に利用、三屋村から水無川に落した。 戸川村とがわむら 岐阜県:益田郡金山町戸川村[現在地名]金山町戸部(とべ) 上戸川(かみとがわ)・中戸川(なかとがわ)馬瀬(まぜ)川支流で北東流する戸川流域にあり、東は沓部(くつべ)村。南は放生(ほうじよう)峠を越えて鳥屋市(とやいち)村(現武儀郡上之保村)に通ずる。美濃国郡上(ぐじよう)郡に属する。正保郷帳に村名がみえ、田三六石余・畑四七石余、郡上藩領。正保三年(一六四六)分知により旗本遠藤領となる。当村の山(戸川山)から木材を運ぶ際には、人夫を出す金山村内の奥金山(おくかねやま)・町方・中切(なかぎり)・井尻(いじり)の四ヵ村と金山湊に対し、所要経費のほかに助成金を仕出人より払う慣習が続いていた(安政元年「仕出材助成金割符帳」徳川林政史研究所蔵)。 戸川村とがわむら 高知県:幡多郡十和村戸川村[現在地名]十和村戸川大野(おおの)村の北にある。村の北は伊予に接し、伊予の長(なが)山(九三九・七メートル)の南麓から南流する戸川川流域の村。戸川川は村の南辺で西北から流れてきた長沢(ながさわ)川と合流して四万十(しまんと)川に注ぐ。上山(かみやま)郷下分(しもぶん)の一村。「土佐州郡志」は「東限仏峠、西限高野、南限番屋、北限御堂、東西一町南北七十町、戸凡五十五、其土黒」と記す。村名は慶長二年(一五九七)の上山郷地検帳に「十河内戸川村」とみえ、当時は十河(とおかわ)(川)村を構成する一村であった。元禄郷帳によると本田高九九石余。 戸川村とがわむら 千葉県:安房郡三芳村戸川村[現在地名]三芳村上堀(かみほり)上堀村の北西に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録の北(きた)之郡内に知行方分として村名がみえ、高三三石余(うち田二三石余)。正保郷帳では平(へい)郡内で、旗本三枝領。のち勝山藩領となり(享保一二年「安房国村々助郷請帳」岩崎家文書など)、幕末に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by