三津永田遺跡
みつながたいせき
[現在地名]東脊振村大字三津字下三津
背振山の南麓から舌状に南へ延びる低丘陵地の基部にあたる標高約四五メートルの所にある。弥生時代後期の甕棺群遺跡。
昭和二七年(一九五二)から二八年にかけて発見され、調査は断続的に実施された(「東脊振村三津の石蓋甕棺と内行花紋明光鏡」佐賀県文化財調査報告書・第二輯、「肥前永田遺跡弥生式甕棺伴出の鏡と刀」史林・第三七巻第二号、「佐賀県東脊振村三津遺跡出土弥生式時代人類の人類学的研究」人類学研究・第一巻第三号・第四号)。遺跡の中の石蓋単棺内から出土した前漢鏡のうち行花文明光鏡一面は佐賀県重要文化財として指定された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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三津永田遺跡
みつながたいせき
佐賀県神埼(かんざき)郡吉野ヶ里(よしのがり)町字三津永田の丘陵に営まれた弥生(やよい)時代の墳墓群。1953年(昭和28)土取り工事で多数の甕棺(かめかん)が出土し、地元研究者、日本考古学協会によって調査された。弥生時代前期から後期にかけての甕棺墓100基以上を確認、中期末から後期初頭にかけての甕棺から獣帯鏡をはじめ4面の漢式鏡と鉄製武器・工具、ガラス玉、貝および鉄製の腕輪、銅鏃(どうぞく)など多数の副葬品が発見され、佐賀平野東部の有力な集団の墓地と考えられている。出土の流雲文縁獣帯鏡と素環頭大刀などは県指定重要文化財。
[高島忠平]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の三津永田遺跡の言及
【東脊振[村]】より
…千石山はサザンカ自生北限地帯(天)でもある。脊振山地南麓の丘陵地にある三津永田遺跡は弥生後期の甕棺墓群で,前漢の内行花文明光鏡など貴重な遺物が出土した。【松橋 公治】。…
※「三津永田遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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