三浦仁(読み)ミウラ ジン

20世紀日本人名事典 「三浦仁」の解説

三浦 仁
ミウラ ジン

明治〜昭和期の料亭女将



生年
明治1年(1868年)

没年
昭和23(1948)年9月6日

出生地
伊予国松山(愛媛県松山市)

旧姓(旧名)
忽那

別名
別名=ジン

経歴
旧家の出身で、10歳の時に熊本県二本木の親戚が営む一流の料亭・一日本店の養女となる。同店は政治家や財界人をはじめ数多くの名士贔屓にしたが、中でも大陸浪人宮崎滔天大陸からの帰国後や東京から帰省する途中などに必ず立ち寄ったという。明治34年中国での革命運動に頓挫した滔天失意の内に彼女の許へ現れたが、滔天になおも革命を続けるべき事を強く諭し、50円を貸し与えた。これによって俄に活力を取り戻した滔天は、後々までこのことを忘れず、その回顧録「三十三年之夢」の序文でも彼女への謝辞を書き記している。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦仁」の解説

三浦仁 みうら-じん

1868-1948 明治-昭和時代前期の女将(おかみ)。
明治元年生まれ。親戚の熊本二本木の料亭一日亭の養女となる。中国の革命運動に挫折した宮崎滔天(とうてん)をたすけ,滔天の自伝「三十三年之夢」の序文に謝辞がのせられている。昭和23年9月6日死去。81歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。名はジンとも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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