三浦為春(読み)みうらためはる

改訂新版 世界大百科事典 「三浦為春」の意味・わかりやすい解説

三浦為春 (みうらためはる)
生没年:1573-1652(天正1-承応1)

江戸前期の武士仮名草子作者。通称勝兵衛。雅号は循庵,定環。三浦頼忠の子。1598年(慶長3)徳川家康に仕え,1603年徳川頼宣輔佐として,紀州家の重臣となり,長門守に補任された。24年(寛永1)致仕したが,26年には従五位下に叙せられた。《寛政重修諸家譜》には〈為春かつて和歌をたしなみ,仏学に長ぜり,ひとゝせ女(娘)のためにあだ物語二巻をつくる〉とある。その《あだ物語》は異類恋愛譚に仮託して,世の無常迅速の仏理を説いた,思想的内容的には中世的といってよい仮名草子であるが,〈平為春作焉〉と雅号などでなく正式の署名がなされており,為春の仮名草子に寄せる高い認識と評価を示すものである。ほかに俳書《野犴集(やかんしゆう)》,連歌書《汚塵集(おじんしゆう)》《犬俤(いぬおもかげ)》,紀行文《大笑記》などの著作が知られている。
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朝日日本歴史人物事典 「三浦為春」の解説

三浦為春

没年:承応1.7.2(1652.8.5)
生年:天正1(1573)
江戸時代の仮名草子作者。曾祖父の代に正木氏に改めたが,再び三浦氏と改める。通称勝兵衛。父頼忠が北条氏の人質であったとき,相模国小田原で生まれた。のちに妹が徳川家康の愛妾お万の方となり,徳川頼宣,徳川頼房を生んだ縁で家康に召し出され,慶長8(1603)年には頼宣の守役を命じられる。元和5(1619)年に頼宣が紀伊藩主となるのに従って和歌山に赴き,筆頭家老となった。和歌,連歌,俳諧,狂歌に造詣が深く,仮名草子『あだ物語』などを著した。烏丸光広松永貞徳などとの交流も知られている。

(樫澤葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦為春」の解説

三浦為春 みうら-ためはる

1573-1652 江戸時代前期の武士,仮名草子作者。
天正(てんしょう)元年生まれ。三浦義同(よしあつ)の子孫で,里見家の臣正木頼忠の次男。妹お万の方と徳川家康の間に生まれた頼宣(よりのぶ)の守役をつとめ,和歌山藩家老となった。和歌,連歌などに通じ,仮名草子「あだ物語」のほか,句集「野犴(やかん)集」などがある。慶安5年7月2日死去。80歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。通称は勝兵衛。号は定環(ていかん)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三浦為春」の意味・わかりやすい解説

三浦為春
みうらためはる

[生]天正1(1573).小田原
[没]承応1(1652).7.2. 和歌山
江戸時代前期の武人,文学者。通称,勝兵衛,庄兵衛,左兵衛。別号,循庵,定環。和歌山藩初代藩主徳川頼宣の重臣。徳川家康の側室お万の方の兄。編著は,俳書『犬俤 (いぬおもかげ) 』 (1648~52) ,『野かん (やかん) 集』 (50) ,連歌書『汚塵集』,仮名草子『あだ物語』 (40) ,紀行『太笑記』 (10) など。

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