日本歴史地名大系 「上井手・下井手」の解説 上井手・下井手かみいで・しもいで 広島県:福山市旧深安郡地区本庄村上井手・下井手福山藩水野氏時代に造成された用水路。芦田(あしだ)川の分水で、本庄二股(ほんじようふたまた)で上井手・下井手の二流に分れていた。芦田川を分水して干拓地の用水とする計画は元和五年(一六一九)福山築城と城下町形成時に着手されている。最初本庄艮端(うしとらがはな)から深津(ふかつ)村の薬師前に芦田川の本流を流す計画であったが、元和六年大洪水に見舞われ、一時築城工事も頓挫した。そこで本流は本庄村と野上(のがみ)村の西側を一直線に草戸(くさど)に向かって流し、その東側に土手を築いて城下町を守り、先の予定水路は上水道や深津新田・木之端(このはた)新涯の用水路とした。艮端を護岸で固め、分水はさらに上流の高崎(たかさき)に取入口を設け、芦田川に平行して分流をつくり、本庄村二股で上井手と下井手に分け、下井手を本庄の蓮(はす)池に導いている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by