上内田村(読み)かみうちだむら

日本歴史地名大系 「上内田村」の解説

上内田村
かみうちだむら

[現在地名]菊鹿町上内田

八方やほうヶ岳(一〇五一・八メートル)山頂から西側の斜面に広がり、内田川の最上流の左岸に位置する。東は八方ヶ岳の稜線を境に菊池郡半尺はんじやく村・虎口こく(現菊池市)、西は山鹿やまが山内やまうち村・長谷川はせがわ村、南は同郡上永野かみながの村・五郎丸ごろうまる村・太田おおだ村、北は同郡相良あいら村・矢谷やたに村および北東部を宿しゆく峰尾みねお峠を挟んで豊後日田ひだ合瀬ごうせ(現大分県日田郡中津江村)と接し、豊後・筑後への往還が通る。一説では「和名抄山鹿郡伊智いち郷を、伊智田いちだとも称したとして上内田・下内田を合せた内田郷に比定する。

近世山鹿郡中村手永に属した。慶長国絵図に村名をみる。寛永一二年(一六三五)の地撫帳によると田七七町八反余・畑五〇町五反余、高一千七一一石七斗余、ほかに「永荒川成」などが一四町一反余・高一一七石余ある。


上内田村
かみうちだむら

[現在地名]天明町内田うちだ 上内田

南は西新開にししんがい村、北は横手手永の白石しろいし(現飽田町)、西は鵜森うもり村に接する。銭塘手永に属し、「国誌」に「内田新開村ノ内」とある。宝暦一一年(一七六一)の下ケ名寄帳によると惣畝数二四町八反三畝余、うち御蔵納は二四町二反八畝余・高三五六石九斗余で、他は御郡間・御寄下などである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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